投稿

8月, 2013の投稿を表示しています

【1000文字小説】その声には『力』がある

声が茂樹に聞こえてきたのは十八歳、大学受験に失敗したときだった。 部屋にこもりっきりとなって落ち込んでいた。そのときに聞こえてきた。 茂樹は顔をあげて周囲を見渡した。だが、誰もいない。そもそもその声が外部から聞こえてきたのかどうかわからない。自分の頭の中に直接響いてきたようでもある。 いまだかつて聞いたことのない声だったが、不思議なことにどこかしら懐かしい感じもした。落ち着いていて、威厳に満ちた声であり、これが神の声だといわれても素直に信じられそうな気もした。 茂樹には声の正体がてんでわからなかった。ただ自分の中に少しだけ残っていた何かの力を増幅させてくれるような声だった。その言葉を聞いているうちに前向きな姿勢へと変化していった。彼は翌年当然のように合格を勝ち取ったのだった。 次にその声が聞こえてきたのは、最愛の妻に死なれたときだった。娘も生まれ、これから仕事もさらに頑張ろうと張り切っていた時期の悲劇だった。飲酒運転のライトバンに跳ねられた妻は助からなかった。 茂樹は生きていく希望を失ってしまった。生きていて何になろう。残された娘の為にもしっかりしなさい、という励ましもあったが、娘の姿を見ると、その面影から妻が思い出されて悲しいだけだった。 そんなときに声は再び聞こえてきた。大学受験に失敗したときに聞こえてきた、やさしさと慈愛に満ちた声だった。 彼はその声を聞いて、十八歳のときに聞こえてきたときと同様、徐々に、だが確実に元気づけられていったのだった。 二十年後、茂樹の勤めていた会社が潰れた。あっけなかった。 家庭をほとんど顧みず、仕事に邁進してきたのであるが、途方に暮れてしまった。マンションのローンは後二十年も残っていて、今売りにだしたとしても借金だけが残る。 茂樹に見切りをつけたように、十年前に再婚した妻が、自分の分は捺印済みの離婚届を取り出した。娘は母に付いて行く、と茂樹に対して冷たく言った。 すべてが信じられず、悪い夢を見続けているような気がした。 そんなところに、また声が聞こえてきたのだった。茂樹にとって懐かしく、神々しく、威厳のある声だった。 茂樹はその言葉を、十八歳のときにはじめて聞いてから変わっていないフレーズを、ゆっくりと自分でも何度も口に出してつぶやいた。 「前へ進め、前へ進め、前へ進め、前

【1000文字小説】ゴジラVS

イメージ
鈴木家の朝、昨日と変わりなく母親は六時に起きた。起きるとすぐにつけるテレビからはニュースが映し出される。 「へぇ、ゴジラが…」 父親は七時に起こされ、五時半に配達された新聞を読む。 「へぇ、ゴジラが…」 一人娘の薫は七時十五分に目を覚まし、大きな欠伸をひとつする。 昨日と違うのは朝食のメニューとテレビと新聞のニュースだけだった。 「本日未明、日本海溝のゴジラ監視用潜水艦わだつみから入った連絡によりますと、眠っていたゴジラの動きが活発化しているという事です。自衛隊では警戒を強め、メカゴジラ三機を待機させ…」 八時になると薫は家を出た。高校はまだ夏休み中だったが、大学受験の為に予備校に通うのだった。自転車を漕ぎながら、薫はメカゴジラの事を考えた。 薫はメカゴジラが嫌いだった。あのゴジラを模した機体がまず嫌いだったし、製造費として何百億(何千億?)の税金が投入されているのも気に入らない。ゴジラはもう一匹しかいないのに、メカゴジラは五体もいるのも卑怯に思える。そしてなにより一番気に入らないのは、メカゴジラがゴジラよりも強いという事だった…。 昔ゴジラは何匹もいた。ある国の核実験によって誕生したゴジラは帰巣本能で日本へとやって来た。そのたびに日本は甚大な被害を受けた。それはまるで台風や地震のようでもあり、あるいは公害のようでもあった。何とか倒しても次のゴジラが現れた。 被害を食い止めようと、迎え撃つ自衛隊はメカゴジラを開発した。メカゴジラは期待に応え、日本へ来るゴジラ達を次々に退治した。そうしてゴジラ達の数はどんどん減り、最後の一匹は日本海溝へと逃げ込んだのだった。さすがのメカゴジラもそこまでは追撃出来ず、それからゴジラはじっと海の底に潜んだままだった。それが今から十八年前、薫が生まれた年だった。 数学の授業はよくわからない。薫の第一志望の大学は地元の国立だったが、今一つ自信がなかった。 薫はゴジラが地上に現れ暴れだして欲しいと願っている。口からは街を焼き尽くす白熱光を出し、道路に巨大な足跡を残し、シッポでビルを薙ぎ倒す。大地に轟く咆哮を上げながら、何もかも破壊してほしい。メカゴジラなんてぶち倒して。 薫が午後二時に帰宅すると、テレビではゴジラの動きが収まった事を伝えていた。今回の動きはゴジラの単なる寝返りだったのか

【1000文字小説】スケッチブックに顔

イメージ
蕗子は絵を書く事があまり得意ではない。というよりは嫌いで苦手な部類に入った。しかしそれが夏休みの宿題となれば仕方がなかった。 家の中を見渡してみても、これといって書きたいものは見つからない。 自画像? いやいやいや。 鏡を見る度にため息をつかせる原因の、自分の顔など描きたくもなかった。整形して綺麗になりたいと思っていた。鼻を高く、まぶたを二重に…。 蕗子はスケッチブックと絵の具セットを持って家を出た。 真夏の太陽に焼かれたアスファルトの照り返し。 木陰で眠っていた白いネコ。 咲き誇る向日葵。 新築工事中のマンション。 何も描く気になれなかった。 小さな橋を渡り、川沿いの道を歩いた。街の北部を流れている川だった。 蕗子は土手に座った。 川面がきらきらと光りながら小さく揺れ、涼しい風が吹いてきた。東へ流れているはずだが、流れは緩やかでどちらへ流れているのかわからなかった。水鳥や家鴨が浮かんでいて、時々水中に潜って餌をとっている。 「僕を描いてよ」 声の方を見ると同い年位の男の子がいた。蕗子がスケッチブックを持って歩いているのを見て、我こそはとモデルに立候補したのだろうか。 書きたいものが初めて見つかった気がした。描いてあげてもいいなと蕗子は思った。 「下手だよ」 「こんな格好でいい? この角度が一番かっこよく見えるんだ」 男の子はポーズをとった。 蕗子は鉛筆で下書きを描き始めた。出だしから快調だった。筆の動きが自分以外の何者かに操られているように感じられた。 ほんの数分で、自分で描いたものではないような出来の下書きが描き上がった。 蕗子が下書きを見せると、男の子は、 「すごい、上手い」と蕗子の絵を褒めた。褒められると単純に嬉しかった。蕗子自信が見てもいい出来だと思えた。 「ちょっと水を汲んでくる」 蕗子は男の子に言い置いてから、筆洗いに川から水を汲んだ。川に手を入れると思ったよりも冷たく、ひんやりとした感触が心地よかった。 水を汲んで戻って来ると男の子の姿が見えない。 あれ、どこへ行ったんだろ。 トイレだろうか。 しばらく待っていたが戻って来ない。 名前も知らないので「おーい、おーい」と叫びながら探した。 だが、結局見つからなかった。 ぽ

【1000文字小説】間に合うか

イメージ
鈴木が目を覚ました時、目覚まし時計の針は午前八時十五分を指していた。 いつもは七時半に起きる。七時半にセットした目覚まし時計が鳴るのでその音に起こされるのだった。それが鳴らなかった。 ちぇ、今日はどうして鳴らなかった。鈴木は腹立たしい思いで目覚まし時計を睨みつけた。 いや、目覚まし時計は鳴ったのだった。鳴ったのだが鈴木の手が布団から伸びてけたたましく鳴るベルを止めた。だがそのことを鈴木は覚えていなかった。 急いで髭を剃り顔を洗いスーツに着替えた。急げば何とか間に合いそうだ。アパートを出て走ってバス停へ向かった。 外は青空が広がっていた。会社へ向かうのがバカらしくなるような青空だった。その青空の下を走った。 いつもより二本遅いバスだった。バスを降りようとして定期入れを忘れたことに気がついた。財布は別に持っているのでお金を払った。 地下鉄の駅に着く。 券売機に五百円玉を入れる。 急いでボタンを連打した。切符とおつりが出る。 急いで自動改札を抜ける。エスカレーターを使わずに階段を走り下りる。 ちょうど入ってきた地下鉄に乗り込んだ。 腕時計を見ると八時四十五分。始業時間の九時まで後十五分だった。会社のある駅まで地下鉄で二駅。駅からは歩けば十分程度だが、走れば五分で着くだろう。 地下鉄を降りたらダッシュしよう。 会社のある駅へ止まった。 腕時計は八時五十分。 鈴木は車両から飛び出ると、人混みの中を走り階段を駆け上がった。鈴木は高校時代に陸上部で短距離をやっていた。走るのには自信がある。 地上はやはり青空だった。会社へ向かうよりはどこか遠くへ行きたくなるような青空だった。だが鈴木は会社へ向かった。 会社に入って五年、これまで一度も遅刻をしたことはない。してたまるか。鈴木は走った。 道行く人をぶつからないように避けて、早く、早く。 会社のビルに着いた。 彼の会社は十三階だった。 二基あるエレベーターはどちらも来ていない。腕時計は八時五十八分。さてどうするか。 迷ったのはほんの一秒。 鈴木は階段をダッシュした。 二階、三階、息が切れる。 六階、七階、やはりエレベーターにすれば……。 十一階、十二階、あと一階だ。 走れ、走れ、走れ。 ようし十三階。 「はぁ、

【1000文字小説】真夏の冷たい午後

イメージ
暑くて明るい真夏の午後が続いている。プールからの帰り道、大悟が歩いていたすぐ側のイチョウからミンミン蝉の声が聞こえた。 あ、あそこだ、と手を伸ばせば届きそうなところに蝉の姿を見つけたときだった。 「大悟くん」 後ろから呼び止める声がした。大悟は不意に声をかけられたせいで、体がびくっと硬直した。気温が瞬く間に下がって季節が冬になってしまったように感じた。 立ち止まって恐る恐る振り返って見ると、知らない女の子が立っていた。真夏には似つかわしくないほどの白い肌だった。 「一緒に帰ろう」 女の子は大悟に近寄ってきた。たった今水から上がってきたように髪が濡れ雫が落ちている。 大悟は何故かしら言い知れぬ恐怖を感じ、今すぐこの場から駆け出して逃げ出したくなった。けれど足が思うように動かない。 「さあ、行こうよ」 女の子が言った途端に大悟は歩き出した。まるで操り人形のようだった。ミンミン蝉の声が遠ざかっていく。 「どっちがいい?」 女の子はビニール製の手提げ袋からバーのアイスを取り出した。イチゴ味とソーダ味の二本だった。 忘れないようにと手の甲や手のひらにメモをする人がいるが、女の子の右手の甲には何か字が書かれている。じっと見つめて読むと、大悟と書かれていた。 「ほら、どっちがいい? あげるよ」 勧められた大悟はどうにも断ることが出来ず、ソーダ味の方をもらった。水色の袋から取り出したアイスはこの暑さの中でもまったく溶けていなかった。 二人は並んで歩きながらアイスを食べた。頬張って感じる冷たさが歯にしみたが、味はよくわからない。体の芯から冷えてしまいそうな気がした。 半分まで食べたときだった。 「あたり?」 女の子は大悟の顔をのぞき込むようにして聞いてきた。バーに当たりの文字が刻印されていればもう一本貰えるのだった。剥き出しになったバーを見ると何も書かれていない。 大悟は「はずれ」と弱々しい声で答えた。 「はずれ? 残念だな」女の子は言った。 家の前までやって来ると、大悟は「じゃ、ここで」と言って女の子と別れようとした。 「ああ、ここがあんたの家だもんね」 「う、うん」 「しかたがないね、はずれだったんだから」 「え?」 女の子は、それじゃというように右手を上げて去っていった

【1000文字小説】娘帰る

イメージ
あゆみは電車を降り、閑散としている駅を出た。朝晩は通勤や通学の乗客でもう少し混むのだが、昼を少し過ぎたばかりのこの時間は人影もまばらだった。 風もない穏やかな日で、別段急ぐわけではない、と数台停まっていたタクシーには乗らず、あゆみは家に向って歩き始めた。 以前は畑だったあたりに、いつのまにかスーパーマーケットがオープンしていた。店舗の周りには大きな駐車場があり、車もそこそこ停まっていた。 あゆみは店内に入ってみた。父への手土産に何かお菓子でも買って行こうと思った。真新しく広々としていたが、客は思ったよりも少なかった。駐車場に停まっていた車は店内の客のものではなく、近くの家や会社の人達が停めているだけなのかもしれない。 少ない客達の中に、あゆみは父の姿を見つけた。百八十センチを超す長身は目立った。髪の毛に白髪が増えたように思えたが、それ以外はあまり変りがなかった。左手に買い物かごを持って、キャベツを手にとって眺めている。 その光景はあゆみに奇妙な感じを抱かせた。父がひとりで買い物をしている姿を見るのははじめてだった。父はスーパーマーケットなんかに来ない、来たとしてもひとりではない、とどうしてか思っていたが、母が死んでから五年。父がひとりなのは当たり前だ。 「お父さん」 あゆみは声をかけた。なんとなく躊躇いがちな声だった。 「買い物?」 「お、あゆみか」 そう言ってあゆみを一瞥した後、またキャベツに向き直った。娘よりキャベツが気になっている風にも、照れてそうしていう風にも見えた。 その様をじっと見ていたあゆみは、 「お父さんがキャベツを買ってる姿を見たの、はじめて」と言った。 「そうか」 それがどうした、という顔で父はあゆみの顔を見た。 あゆみは父と一緒に並んで家に帰った。父と並んで家に帰るのは一体何年ぶりだろう。そんなはずはないのだが、はじめてのような気もした。 父はズボンの後ろポケットからキーホルダーのついた鍵を取り出した。家の鍵の他にもよくわからない鍵が何本かついていて、それがジャラジャラと音を立てている。使わない鍵はもうはずしたらいいのに、とあゆみは思ったが、どうせ自分の言うことを聞きはしまい、と考え何も言わなかった。 父は玄関の鍵を開け家の中に入った。父の後に続いてあゆみも家に入った。敷居