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2013/08/15
【1000文字小説】スケッチブックに顔
蕗子は絵を書く事があまり得意ではない。というよりは嫌いで苦手な部類に入った。しかしそれが夏休みの宿題となれば仕方がなかった。
家の中を見渡してみても、これといって書きたいものは見つからない。
自画像?
いやいやいや。
鏡を見る度にため息をつかせる原因の、自分の顔など描きたくもなかった。整形して綺麗になりたいと思っていた。鼻を高く、まぶたを二重に…。
蕗子はスケッチブックと絵の具セットを持って家を出た。
真夏の太陽に焼かれたアスファルトの照り返し。
木陰で眠っていた白いネコ。
咲き誇る向日葵。
新築工事中のマンション。
何も描く気になれなかった。
小さな橋を渡り、川沿いの道を歩いた。街の北部を流れている川だった。
蕗子は土手に座った。
川面がきらきらと光りながら小さく揺れ、涼しい風が吹いてきた。東へ流れているはずだが、流れは緩やかでどちらへ流れているのかわからなかった。水鳥や家鴨が浮かんでいて、時々水中に潜って餌をとっている。
「僕を描いてよ」
声の方を見ると同い年位の男の子がいた。蕗子がスケッチブックを持って歩いているのを見て、我こそはとモデルに立候補したのだろうか。
書きたいものが初めて見つかった気がした。描いてあげてもいいなと蕗子は思った。
「下手だよ」
「こんな格好でいい? この角度が一番かっこよく見えるんだ」
男の子はポーズをとった。
蕗子は鉛筆で下書きを描き始めた。出だしから快調だった。筆の動きが自分以外の何者かに操られているように感じられた。
ほんの数分で、自分で描いたものではないような出来の下書きが描き上がった。
蕗子が下書きを見せると、男の子は、
「すごい、上手い」と蕗子の絵を褒めた。褒められると単純に嬉しかった。蕗子自信が見てもいい出来だと思えた。
「ちょっと水を汲んでくる」
蕗子は男の子に言い置いてから、筆洗いに川から水を汲んだ。川に手を入れると思ったよりも冷たく、ひんやりとした感触が心地よかった。
水を汲んで戻って来ると男の子の姿が見えない。
あれ、どこへ行ったんだろ。
トイレだろうか。
しばらく待っていたが戻って来ない。
名前も知らないので「おーい、おーい」と叫びながら探した。
だが、結局見つからなかった。
ぽつんと置かれているスケッチブック。
めくって見ると蕗子の書いた男の子の絵がない。
その代わりに蕗子の顔が書かれていた。自分で描いた覚えはなかった。さっきの男の子が描いたのだろうか。笑っている、蕗子の顔。(了)
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