【1000文字小説】八月も
八月の昼間、家には夫がいる。 長男が大学へ出て、次男が就職で家を出てから、夫と二人暮らしになった。 最初の頃は、冷蔵庫の食材がなかなか減らなかった。 牛乳を二本買う。 卵を十個入りにする。 帰宅してから気づいて、少し笑った。 今では、それもなくなった。 夫は定年してから、朝起きる時間が少しずつ遅くなった。 長い間働いたのだから、と最初は思っていた。 昼近くまで寝ていても、ソファで新聞を読んでいても、何も言わなかった。 夫の姿が、家の中の一部のように見える日が増えた。 時々冷蔵庫を開ける。 庭の植木に水をやったりする。 それ以外の時間は、ほとんど同じ場所にいる。 ある日、買い物から帰ると、夫が掃除機をかけていた。 「どうしたの」 夫は少し考えてから言った。 「床が汚れてたから」 夫は掃除機をかけながら、ゆっくり部屋を回っていた。 その姿を見て、子どもたちがまだ家の中を走り回っていた頃のことを思い出した。 夜、夫はいつものようにテレビの前で眠っていた。 私は台所で麦茶を作った。 食器棚を開けると、奥に昔使っていたマグカップが見えた。 子どもたちが家にいた頃、よく使っていたものだった。 取り出そうとして、やめた。 別に理由はなかった。 翌朝、夫は珍しく早く起きた。 「暑いな」 それだけ言って、窓を開けた。 蝉の声が部屋に入ってきた。 夫はしばらく外を見ていた。 何か考えているようにも見えたし、何も考えていないようにも見えた。 私は朝食の皿を並べた。 二人分。 向かい側に座った夫は、新聞を開いた。 紙の擦れる音がした。 その音を聞きながら、私は湯気の消えていく味噌汁を見ていた。 窓の外では、蝉が同じ場所で鳴き続けていた。 リンク