【1000文字小説】白い膜の部屋
雨は、夜になってもやむ気配を見せなかった。 むしろ暗くなるにつれて、窓の外の白さは強くなっていくようにさえ思えた。街の輪郭は完全に溶けて、二十五階という高さも、もはや現実の距離感を失っている。ただ、ガラス一枚の向こうに、重たく濡れた何かが張り付いているだけだ。 美咲はキャンドルの炎を見つめながら、紅茶が冷めていくのをそのままにしていた。 静かな部屋だった。静かすぎて、冷蔵庫の低い駆動音が、やけに遠くから聞こえる。ときおり建物全体がわずかに軋むのは、風のせいなのか、それともただの錯覚なのか判別がつかない。 風邪のせいだろう、と美咲は思う。 身体の境界が曖昧になる。熱があるわけではないのに、皮膚の内側だけが少しだけ浮いているような感覚がある。現実に触れている手応えが、どこか頼りない。 十五年という時間は、長いようで、終わってしまえば驚くほど薄い膜のようだった。 別れ話をした日のことは、今でも思い出せる。相手の声は静かで、怒りも悲しみもほとんど含まれていなかった。ただ、長く続けてきたものを終わらせるとき特有の、慎重な丁寧さだけがあった。 「このまま続けても、どこにも行けない気がする」 そう言ったのはどちらだったか、もう曖昧だ。 ただ、その言葉だけが、雨のように残っている。 窓の外では、何かがゆっくりと流れ落ちていた。雨粒の筋なのか、都市の光の残像なのか、それすら判別がつかない。見ているうちに、それはまるで大きな一枚の布のように見えてくる。 世界そのものが、少しずつほどけていく布。 美咲は視線を落とし、紅茶の表面に映る自分の顔を見た。 そこには疲れた女がいた。だがそれが自分だと確信するまでに、ほんのわずかな遅れがある。その遅れが、今日はやけに長い。 キャンドルの炎が、わずかに揺れた。 風はないはずだった。 それでも炎は、誰かが息を吹きかけたように細く傾き、また元に戻る。その繰り返しが、規則とも不規則ともつかないリズムを作っている。 美咲は立ち上がり、窓際に近づいた。 ガラスに触れると、ひんやりとした冷たさが指先に広がる。その瞬間、雨の音が少しだけ近くなった気がした。いや、音ではない。圧力のようなものだ。外側から押しつけられる、重い気配。 ふと、昔の記憶が浮かぶ。 まだ二人でこの街を見上げていた頃、こんな高い部屋に住むことは、どこか非現実的な夢だった。いつかは、と笑...