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2017/05/02
マンガくんを買ってはいたが…
家の方向が同じS君と学校からの帰り道、明日から冬休み位の時期だった。
雑貨屋の店頭にあるブックスタンドには、いつものように少年ジャンプや少年マガジン、少年サンデーなんかが並んでいる。そんな中に初めて見る雑誌があった。
雑誌の表紙には、
マンガくん
と書かれていた。
マンガくん、それは小学館から新しく出ると広告のあったマンガ雑誌だった。毎月買っていた小学5年生に広告が出ていたので知っていた。知っていたが…。
これが、マンガくん?
思っていたのとは違っていたので私は戸惑った。
普通の少年誌とは違い中綴じの雑誌だったのだ。
中綴じの雑誌といえば大人の雑誌、子供の私にとってはそんな認識だった。
私が手に取ってもS君はあんまり興味がなさそうにしている。S君はあんまりマンガには興味がなかったのだ。
家に帰ってからこずかいを持って引き返し、早速購入。150円だった。マンガなんでも事典という付録がついてきた。
連載マンガは、
球道くん、水島新司
無頼・ザ・キッド、永井豪
エスパー魔美、藤子不二雄
タトル君、赤塚不二夫
ココロマン、ジョージ秋山
おとこ権兵衛、吉森みき男
ビーダマ社長、柳沢きみお
まんが研究会、石森章太郎
などなど誰もが知っていたマンガ家ばかり。
これらの連載マンガとは別に、毎号大物漫画家の読み切りが1本載った。
創刊号は、
てっぺんガキ大将、本宮ひろ志
だった。
水島新司の球道くん、藤子不二雄のエスパー魔美。
どちらもキャラクターはよく知られていると思うが、マンガくんはほとんどの人が知らない。クラスでもマンガくんを購入していたのは私以外知らない。
小学館の週刊マンガ雑誌は少年サンデーがすでにあった。マンガくんは週刊ではなく月2回刊だった。とはいえターゲットの年齢層は少年サンデーと重なる。それで差別化の為に、ビックコミックやビックコミックオリジナルの弟的なマンガ雑誌にしたかったのだろう。少年サンデーは明らかにビックコミックファミリーではない。
最初の頃はいつも巻頭カラーだった球道くんが看板マンガ。マンガくんと球道くん。くんつながりがイチオシになった理由だろうか。
ビックコミックの弟雑誌的という性格から、ビックコミックオリジナルのあぶさんみたいなポジションを狙ったのだろうか。
でも、なんていうか、パワーがなかった。みんな読み切りを一つのセールスポイントにしていたのだが、別に読み切りにする必要性なんてなかったんではないか。週刊のような、途中で「続く」となってこの先どうなるのみたいなワクワク感がなかったのだ。
月2回刊はビックコミックにならったのだろうが、子供は週刊になれていたので月2回刊はどうにも訴求力に欠ける。すでに子供は何かのマンガ週刊誌を買っていて、それにプラスするには金額的に週刊ではキビしい、ならせめて月2回刊でとなったのだろうか。
第2号は読み切りマンガに石森章太郎の魔法小学校が載った。連載のマンガ研究会とともに豪華2本立てだ。
初期の頃はずっと購読していたが、部数は伸びなかったようだ。
途中から中綴じをやめて普通のマンガ雑誌のようになった。2年ぐらいして買わなくなったが、その後雑誌名を少年ビックコミックに変更、さらにはヤングサンデーとなって廃刊となった。