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2021/05/27

【映画の感想】ガス人間第1号

 ガス人間第1号(昭和35年公開)

『美女と液体人間』『電送人間』に続く変身人間シリーズの第3弾。

『電送人間』は昭和35年の4月に公開されている。

『ガス人間第1号』は12月の公開だ。

ウィキペディアによればこの後、『フランケンシュタイン対ガス人間』『怪奇人間特撮シリーズ 戦慄火焔人間』『透明人間対火焔人間』の企画があったようだ。

どれも映画化はされなかったので、この『ガス人間第1号』がシリーズ最終作になった。

マタンゴも変身人間シリーズっぽいが、これは番外編的作品だそうだ。

まあ、シリーズとはいっても1本1本が独立した作品で、続いているわけではないのでそれ程気にする事もない。

タイトルバックでは拳銃を使って銀行強盗をしている場面が流れる。

犯人の視点での映像で、最初は人間の姿だが、途中からはガス人間になったっぽい。

警察は犯人の車を追うが捕まえられず。

2回目の銀行強盗があり、今度は内側から鍵がかけられた密室で行員が殺され現金が奪われた。

ガス人間は中々の無敵っぷりで、警察に自首してきてもう一度犯行を再現してみせるが警察は何も出来ない。

気体になるっていうのがポイントだ。

透明人間だったら透明になるだけ、液体人間だったら液体になるだけ。

ガス人間だったらガスになるだけなのだが、ガスだとまさに捉えどころがない。

拳銃で撃たれても効かないのだ。

ガス人間は愛する八千草薫の発表会の為にお金を用立てる。

これだけの能力があれば、別段銀行強盗をしなくても、何処かからお金は奪ってこれるんじゃないのかな。

まあ、目立ちたがり屋のようだし、手っ取り早いので銀行強盗をしたのだろうか。

警察には捕まらないという自信もあったんだろう。

ガス人間は核兵器や戦争の被害者というわけではないが、人体実験の被害者。

普通に働こうと面接を受けたら、ガス人間にされてしまったのだ。

これまでの実験はどうやら失敗していたようで、今回が初めての成功。

ガス人間第1号だ。

失敗した人間はみんな死んでしまったのだ。

ガス人間は正体を現して警察と対峙する、これが中々面白い。

人間なので会話も成り立つがほぼ無敵。

超人的な怪人が人類の敵になったらという話。

だがスケールはあまり大きくはならず、映画の主軸はガス人間と八千草薫のラブロマンス。

ガス人間はともかく八千草薫がガス人間を愛してたのかはよくわからない。

最後のライターをつけて爆発するのも、どうしてそんな行動をとったのだ?

女心はワカラナイ。

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2021/05/20

【映画の感想】電送人間

 電送人間(昭和35年公開)

「美女と液体人間」に続く変身人間シリーズ第2弾がこの電送人間。

第3弾の「ガス人間第1号」も昭和35年の公開なので、この年はシリーズが2本公開された事になる。

人気があったのだ。


映画はおばけ屋敷の場面から始まる。

これまでの○○人間の定番、○○人間が車に轢かれて…、ではなく殺人事件。

おばけ屋敷の中で、この場所に呼び出された男が殺されたのだ。

目撃者は多数いたのだが、全然役に立たない。

犯人の代わりに現れたのは鶴田浩二。

文芸部なのになぜか事件を追う事になる。

事件を担当する警部と学生時代に同級生だったという事だが、折角の鶴田浩二が活かせてないな、モッタイナイ。


「美女と液体人間」同様に悪役が経営するキャバレーが登場するが、今回はキャバレー大本営。

従業員は軍服、女の子はセーラー服。

酒の名前も焼夷弾やミサイル。

当時はこんな店が何軒もあったのだろうか。

ダンサーが金粉ショーを上演している。

このキャバレーに、冒頭で男を殺した電送人間が現れる。

電送人間はかつて銃で撃たれダイナマイトで吹き飛ばされたと思われていた須藤兵長。

須藤兵長役の中丸忠雄が不気味でいい、というか怖い。

無表情で無機的だ。

最後の方でこの顔はマスクで、下から傷だらけの顔が出てくる。

マスクだったので無表情だったのだ。

タイトルも電送人間だし、鶴田浩二よりもこっちが完全に主役っぽい。


中丸が電送機を使ってテレポーテーションするのだが、自分が現れる場所にも電送機がないと出来ない。

なので、中丸が殺したい相手の場所に行くには、相手の場所にも電送機を用意する必要がある。

これがちょっと大変な作業になる。

殺したからといってハイ、サヨウナラとはならず、電送機の場所まで行かなければならない。

懸命に走って移動し、自分が電送し終えた後は燃やして処分したりと、中々大変だ。

警察もそんな電送機の弱点を突けばいいのに、中丸の復讐を遂げさせてしまう。

なんか走り回っているだけで、さっぱり役に立たないな。


電送人間は、これまでの透明人間や液体人間とは違い、普通の人間。

電送される時だけ普通ではなくなるのだろうが、実体化した後は普通の人間だ。

なので殺したり走ったりするのは普通のハズ。

そんな普通の人間に振り回される悪役連中も警察も無能過ぎないか。

ただ電送中でなくても中丸の体が光ったりするので、実際は普通ではなかったのかもしれない。

今回も白川由美が登場するが、役柄としては重要でも何でもない役。

もうちょっとストーリーに関連づけて欲しかった。

まあ、出ているだけで華やかになるからいいのか。

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2021/05/13

【映画の感想】美女と液体人間

 美女と液体人間(昭和33年公開)

本作は変身人間シリーズの第1作という事だ。

昭和29年に「透明人間」が公開されたが、透明人間は変身人間シリーズには入っていない。

何で?

変身人間シリーズはこの後「電送人間」「ガス人間第1号」と続く。

好評だったのだな。

今回は美女とタイトルに入っているが、美女は変身はしない。

映画は冒頭でいきなり核爆発。

どこかの国の核実験だ。

この核実験の影響で生まれたのがタイトルの液体人間。

理屈はわからないが、放射能を浴びると液体人間になるのだ。

雨の日に男が車に轢かれた、と思ったら服だけ残して消えてしまった。

最初の方はSFっぽさはないが、キャバレーに現れた科学者登場でSFっぽさを出し始める。

カエルに放射線を浴びせて、液体ガエルにする実験も出てくる。

液体人間が何で東京に来たのか疑問だが、意志はあるようなので何らかの理由はあったのだろう。

液体人間は移動するときは液体というよりスライムのようになる。

スライムから人型になると、いかにも特撮って感じになって不気味でいい。

だがタイトルに出ている割には液体人間の登場シーンは短い。

その代わり、美女の方の出番は多い。

美女=白川由美だ。

液体人間を見ているよりも、彼女を見ていた方がそりゃ楽しいよ。

液体人間に襲われた人間は溶けてしまう。

襲われた人間も液体人間になるのかと思ったが、そうではないのかな。

襲った人間を液体人間にするかどうかは液体人間の意志で決定されているのか。

最後には二人になっているし。

キャバレーが度々出てくるが、大人の社交場という感じでいいな。

警察陣営や悪巧み陣営が入り乱れている。

誘拐された美女を追っかけるタクシー。

カーチェイスになったが、現在の映画のようなスピード感はない。

緊迫感を出そうとはしているのだろうが、何となくほのぼのとしたカーチェイスだ。

当時の東京の風景が見る事が出来て楽しい。

クライマックスは下水道にガソリンを撒いての液体人間退治。

液体なので火には弱いだろうという推察からだ。

ガソリンを積んだタンクローリーには三菱スーパーガソリンの文字。

燃え盛る下水道。

最後はずっと下着姿の白川由美。

クライマックスだからサービスだ。

液体人間が退治されたとは明確にはわからない。

火が弱点では無い可能性もあるからな。

核戦争で滅亡した人類に代わって液体人間が世界を支配するかもというナレーションで終了する。

この頃はこのままだと人類は核兵器で絶滅するという雰囲気だったのだろうか。

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2021/05/06

【映画の感想】透明人間

 透明人間(昭和29年公開)

透明人間はゴジラと同じ昭和29年に公開された作品。

ゴジラは11月の公開だが、こちらは12月29日の公開。

随分と年末になってから公開されたのだな。

年末年始に合わせての公開か。

この頃はまだクリスマスがそれほどイベントとしては定着してなかったのかな。

映画としてはゴジラの方が圧倒的に有名になったが、透明人間というSFの設定はゴジラと同様に広く知られている。

映画はドライブ中の男女の姿から始まる。

運転していた男は人を轢いたと思ったが、女も、警官もそんな事はないと言う。

警官はともかく、同乗の女は轢いた感覚をわからぬものかな。

運転していた男は一人で慌てていたのだが、車の下から男の死体が現れてきて女の悲鳴。

透明人間は死んでしまうと透明ではなくなるようだ。

轢かれて死んだ透明人間は、戦争中の透明特攻隊の生き残りだった。

わざと車に轢かれて自殺したのだ。

透明なので、車に轢かれての自殺も簡単なものだ。

死んだ透明人間の持っていた遺書から、もう一人透明人間がいると分かる。

それが本編の主人公の透明人間だ。

元の姿に戻れない悲しみを抱えている。

現在であれば、透明人間はなりたい人間ベスト3くらいには入るだろうが、当時はまだ戦後9年。

劇中の東京は随分と復興している感じだが、人々の生活にはまだ戦争の面影が残っている時代なのだろうな。

透明人間だからといって透明で暮らしているわけではなく、ピエロに扮してサンドイッチマンとして生活している。

包帯グルグル巻きではないのだ。

透明ではなく、人の目に映って生活しているというのがアイディアだ。

透明人間がどこかにいるって事で、人々は不安にかられる。

確かに、どこにいるのかが見えないっていうのはイヤだな。

で、この透明人間の名を騙るギャングが出てくる。

とはいえ顔を隠しただけで透明になってないのだから、すぐに捕まえられる気がするがな。

このギャング団と透明人間の戦いが始まる。

透明人間は悪役が多いのだが、この映画の透明人間はいい奴なのだ。

盲目の女の子も、透明人間はいい人だと感じている。

目が見えない分、他の感覚が優れているのだろうか。

透明人間といえば、気になるのが透明人間の描写。

本作を含め、透明人間の映画はこの描写が大きなセールスポイントだろう。

今回の透明人間はピエロなので、ピエロのメイクを拭って落とすと透明になったり、人がいないのに足跡がついたり、人が乗ってないスクーターが走ったり、ピアノやラッパの楽器が勝手に演奏されたりする。

CGのない時代、知恵を絞って作ったんだろうな。

最後はまあ、こうなってしまうだろうなっていう通りの展開だ。