透明人間(昭和29年公開)
透明人間はゴジラと同じ昭和29年に公開された作品。
ゴジラは11月の公開だが、こちらは12月29日の公開。
随分と年末になってから公開されたのだな。
年末年始に合わせての公開か。
この頃はまだクリスマスがそれほどイベントとしては定着してなかったのかな。
映画としてはゴジラの方が圧倒的に有名になったが、透明人間というSFの設定はゴジラと同様に広く知られている。
映画はドライブ中の男女の姿から始まる。
運転していた男は人を轢いたと思ったが、女も、警官もそんな事はないと言う。
警官はともかく、同乗の女は轢いた感覚をわからぬものかな。
運転していた男は一人で慌てていたのだが、車の下から男の死体が現れてきて女の悲鳴。
透明人間は死んでしまうと透明ではなくなるようだ。
轢かれて死んだ透明人間は、戦争中の透明特攻隊の生き残りだった。
わざと車に轢かれて自殺したのだ。
透明なので、車に轢かれての自殺も簡単なものだ。
死んだ透明人間の持っていた遺書から、もう一人透明人間がいると分かる。
それが本編の主人公の透明人間だ。
元の姿に戻れない悲しみを抱えている。
現在であれば、透明人間はなりたい人間ベスト3くらいには入るだろうが、当時はまだ戦後9年。
劇中の東京は随分と復興している感じだが、人々の生活にはまだ戦争の面影が残っている時代なのだろうな。
透明人間だからといって透明で暮らしているわけではなく、ピエロに扮してサンドイッチマンとして生活している。
包帯グルグル巻きではないのだ。
透明ではなく、人の目に映って生活しているというのがアイディアだ。
透明人間がどこかにいるって事で、人々は不安にかられる。
確かに、どこにいるのかが見えないっていうのはイヤだな。
で、この透明人間の名を騙るギャングが出てくる。
とはいえ顔を隠しただけで透明になってないのだから、すぐに捕まえられる気がするがな。
このギャング団と透明人間の戦いが始まる。
透明人間は悪役が多いのだが、この映画の透明人間はいい奴なのだ。
盲目の女の子も、透明人間はいい人だと感じている。
目が見えない分、他の感覚が優れているのだろうか。
透明人間といえば、気になるのが透明人間の描写。
本作を含め、透明人間の映画はこの描写が大きなセールスポイントだろう。
今回の透明人間はピエロなので、ピエロのメイクを拭って落とすと透明になったり、人がいないのに足跡がついたり、人が乗ってないスクーターが走ったり、ピアノやラッパの楽器が勝手に演奏されたりする。
CGのない時代、知恵を絞って作ったんだろうな。
最後はまあ、こうなってしまうだろうなっていう通りの展開だ。