ぐうぐう。あるいはすやすや。あるいは昏昏。あるいはZZZ。
兎に角、丑三つ時。草木も眠る位だから私も眠っていたのである。総天然色の夢を見ながら、心地良く、快適な悪夢にうなされながら。
そんな時、太平の夢を破る電話のベルが鳴り響いたのである。いつまでもだらだらと鳴り止まないベルに、仕方なく私は電話に出た。眠い目をこすりながら、舌打ちして。電話の主に呪詛の言葉を吐きながら。ムニャムニャ。
「……夢を見てたんでしょ」
電話に出ると女はそう言ったのである。暗く、弱々しく、くぐもった、久方ぶりのハスキーボイス。アリャアリャ。
夢を必要としない人はいない。夢を見ない人もいない。夢を見たことがない等と言う人間が偶にいるが、これはただ単に自己の記憶力のなさを喧伝しているに過ぎないのである。
日がな一日、人の心に波風が立つ事がなかったら、眠りの中に夢はない。しかし、私達の心はゆらゆらと嵐の中の小船のように揺れ、風に飛ばされた木の葉のようにふらふらと舞い、迷子のようにうろうろと当所無く彷徨する。であるから、人が夢を見ない筈がないのである。
不満があり、願望があり、不安があり、恐怖があり、驚きがあり、悲しみがあり、感動があり……、要するに、葛藤が夢を見させているわけなのである。
生きていれば避けられない葛藤を、脳は健気にも整理整頓してくれる。それが夢なのである。くどいようであるが、覚醒している心に葛藤がなく、秩序があれば夢を見ないのであり、だから人は夢を見るのである。
秩序がなく、混沌とした、私達の生きている世界。グチャグチャ。
夢を見ない女。夢を見れない女。
電話の声はいつのまにか泣き声に変わるのである。そして泣きながら自分の身の不幸を語ったりしちゃうのである。妻子ある男、上司たる男、愛した男、捨てた男。
それは、どこにでもあるつまらない話なのであった。私にとっては。多分本人にとっても、いつの時代でも、誰にとっても。困ったものなのである。
で、夢。私は女にとっての夢なのである。自分の気持ちを整理する為の。夢を見ない可哀相な女の為の。
消えない想い、留まる想念。いつになったら彼女の想いは消え去るのか、全くもって不明なのであった。メチャメチャ。
それで、もうすでにこの世にいない我が妹からの電話を切ったのである。オヤスミナサイ。以上全て夢の話。これも夢。夢オチ? ウヤムヤ。
(1998/12/18/勝ち抜き小説合戦応募 文字数:995)