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2017/08/14

暴れる母


先週の日曜日午前11時過ぎ、父の仏壇に線香をあげた母。
父は10年以上前に死んでいる。
線香をあげた直後に父はどうしたのかと聞いてきた。

父はどうしたのだとの質問はいつものことだ。
今回はいつもと違って、線香をあげた直後だった。
どうしたのって、仏壇に線香をあげてるんだから、死んでいるのだ。

父はどうしたのとの質問に、答えるパターンは二通り。

「死んだんだよ」と正直に言うパターンと「今出かけているよ」みたいに生きていると言うパターンだ。
どっちを答えても大丈夫なときもあればダメなときもある。

大丈夫なときは、「そうか死んじゃったのか」としみじみ語ったり、「そういえばそうだったね」と納得する。

ダメなときは、「いや、そんなことはない、生きているはずだ」となったり、「さっきまでいたのに、黙ってどこへ行ったの」と怒り出したりする。

大丈夫だと思っても怒り出すときもあれば、ダメだと思ってもすぐ落ちつくこともある。

この日は線香をあげた直後でもあり、「死んだんだよ」と答えた。
すると母は表情が険しくなり、「そんなはずはない」と言う。
ダメなパターンか。

「今線香をあげたじゃない」と言ってもダメだ。
「さっきまで喋っていた」「どこに行った」と段々興奮しながら喋る。
私と喋っていたことを、父と喋っていたとカンちがいしているのかもしれない。

「もう十年前に死んだんだよ」
「いや、そんなことはない。生きてる」「死んだって、何だってそんなこと言うの!」「殺したの?」
自分の言葉に背中を押されるように、どんどん興奮していく母。


「じゃお墓参り行こうか」
「何しに行くの」
「お父さんのお墓参りだ」

家にいてもラチがあかない。こうなると納得させるのは無理なのだ。
気分転換させるために、お墓参りを口実に車で連れ出すことにした。
これで興奮は収まることもある。

車に乗っても「どこに行くんだ!」と興奮している。

「お墓だよ」

「死んでないよ。病院へ行け」「こっちは病院ではない、どこに連れて行くの」

足でダッシュボードをガツガツ蹴ったり、ティッシュの箱を潰したりしている。
「降りる!」「降ろせ」とか言って施錠をときドアを開ける。いつも鍵の開け方をわからないのに、こんな時はすぐにわかるのだ。
路肩に寄せブレーキを踏む。母はそのままシートベルトを外して出て行った。

しばらく歩き回れば落ち着くケースもあるので、そのまま出て行ったのを見送っていた。
そっと後をつけて歩き回らせるのだ。が、母はすぐに戻ってきて車に乗り込んだ。

とりあえず家に戻るが、興奮は冷めない様子。
こういうときは拒否に合い頓服薬を飲ませることもできない。
これ飲んでと言っても素直にはい飲みますとは絶対ならない。

車に乗せるとまた途中で降りたりして危険なので車の鍵を締める。
だが、また家に戻ってきたことが不満な様子だ。
車に乗せろと騒ぎ出した。

庭のレンガを拾い、車のドアノブをガツッガツッと結構な力で叩き出した。
止めようとする私にレンガを投げつける。
そしてまた大きめの石を拾いドアを叩く。
指を怪我したようで、血が出ているが構わずドアを打ち付ける。
車に血が付いて交通事故でも起こしたようだ。

仕方なく再び車に乗せる。
「死んでるわけないだろ。さっきまで喋っていた。そんなこともわからないのか。バカ。バカ」とか罵詈雑言。
乗っているのがすぐに嫌になったのか、騒ぐのですぐ家に戻る。

家に戻ると母はすぐ布団を敷き始め、そのまま布団に潜り込んだ。
いつもは興奮状態が2時間ぐらい続くのだが、この日は自分から布団に入った。
初めてのパターンだ。

昼を過ぎ私は一人で昼食をとった。一度母が起きてきてトイレに行った。また暴れるのかと緊張したが、すぐに布団に戻り寝てしまった。

午後1時過ぎ、何事もなかったように母は起きてきた。
表情は晴れやかで、興奮は収まったようだ。

飲んでいる薬はメマリー20mg、抑肝散、背中にイクセロンパッチ18mgを貼っている。
薬を飲んでいても暴れるのならば、飲まなくてもいいのではないかと疑問が湧く。

そもそも薬を飲んだからこそ攻撃性が増して暴れたのかも知れないし、そこはもう本来の症状なのか薬のせいなのかはわからない。

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