【1000文字小説】蜘蛛男の憂鬱
目が覚めた瞬間、世界が八方向から押し寄せた。視界が異様に広い。身体を起こそうとしたら、八本の脚がカサ、と動いた。
――嘘だろ、何この体。
「起動成功。ようこそ、シン・ショッカーへ」
白衣の男が冷えた目で俺を見下ろす。
俺は攫われ、改造されてしまったのだ。
「君には部隊の先鋒となってもらう。コードネーム:くもおとこ」
ため息しか出ない。
くもおとこて。
テレビのヒーローシリーズ、ばった男の初回の相手って、確か蜘蛛の怪人が多かったよな。
あれって完全に悪役だった。
――てことは俺も悪役コースなのか?
胸が沈む。だが、ふと思い出す。
アメリカには“蜘蛛のヒーロー”がいるらしい。
だったら蜘蛛だってヒーローっぽく……なれるのか?
いや、本当に?
試しに天井へ意識を向けると、身体がひゅっと跳ねて壁に吸い付いた。
脚の感触が微妙に震え、壁の凹凸を一つひとつ拾う。
空中を駆ける感覚は、少し楽しい。だが八本脚がカサカサ動くたびに、どう見ても怪人のそれで現実に引き戻された。
夜、出撃命令が下る。任務は「裏切り者」の排除──ただし、単なる反体制派ではない。シン・ショッカーに情報を流す密告者、市民を巻き込む危険な作戦を企てる人物だ。
戦闘員たちは無表情に武器を抱え、一糸乱れず進む。その異質さに背筋が冷える。俺も列に紛れているのが怖い。
ビルの壁を駆け上がる。夜風が体を包む。壁の微かな凹凸を脚が吸い付く感触がリアルに伝わる。跳ねるたびに全身の感覚が増幅され、鳥肌が立つ。ヒーローの颯爽さは皆無で、影に滲む俺の姿はどう見ても悪役だった。
「ヒーローっぽい、か? いや、悪役だよな、これ」
任務対象に近づいたとき、胸の中の機械が震えた。糸のように細い感覚が街の振動を拾い、助けを求める小さな声が浮かび上がる。
泣いている子ども、逃げ惑う家族。
シン・ショッカーの作戦に巻き込まれた市民たちだ。
蜘蛛の能力は、弱いものの震えさえ拾う。
その瞬間、自分の立ち位置がはっきりした。
ばった男はこういう時、人を助けたんだ。なら、蜘蛛だってできるはずだ。
「……悪役なんて、俺の性に合わない」
俺は隊列を外れ、影へ飛び込んだ。泣いている子どもに近づくと、市民は悲鳴をあげて後ずさる。まあ、八本脚だし、仕方ない。
それでも俺は子どもを背で庇い、迫る戦闘員たちと対峙した。
悪役として造られた。
だが、力の使い道までは決められていない。
憂鬱は残る。八本脚も気持ち悪い。
でも――糸は張れる。
なら、どこに巣を張るかは、俺が決める。
そして──この力で、誰かを守るための巣を張るんだ。