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認知症で何度も同じことを聞いてくる母への対処法

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数年前から認知症の症状が現れた母。 いろんな症状があるが、その中の一つに、何度も同じことを聞いてくるというのがある。 「お父さんはどうしたの?」 「死んだんだよ」 「ああ、そう」 1分後。 「お父さんはどうしたの?」 なんだ、また同じことを聞いてきて。 「死んだんだよ」 「ああ、そう」 さらに1分後。 「お父さんはどうしたの?」 さっき答えたばかりなのに。またまた同じことを聞いてきて、イライラするな。 「死んだんだよ」 「ああ、そう」 以下、繰り返し。 こっちが何かしている最中だと、さらにイライラする。 1分後ならまだいいが、1分間の間に何度も聞いてくることもある。 「お父さんはどうしたの?」 「死んだんだよ」 「ああ、そう。お父さんはどうしたの?」 「死んだんだよ」 「ああ、そう。お父さんはどうしたの?」 「死んだんだよ」 「ああ、そう。お父さんは…」 何度も同じことを聞かれるから、イライラする。 こっちも何度も同じことを言わなきゃならないから面倒くさい。 そもそもなぜイライラするかというと、何度も同じことは聞かないものだというこっち側の前提があるからだ。 自分が何か作業していたりして、そちらを優先させたいときなどはさらにイライラする。 ではどうするか。 何度も同じことは聞かないものだではなく、何度も聞いてくるものだというふうに考えを変える。 認知症の人間は、何度も同じことを聞いてくるのだ。 1回質問がきたら、その後何度も同じことを聞いてくるものだと考える。 聞いてくるのが当たり前なのだ。 これまでは、 母「お父さんはどうしたの?」 なんだ、また同じことを聞いてきて。 「死んだんだよ」 それを変える。 これまでは前提が間違っていたのだ。 認知症の人は、何度でも同じことを聞いてくる。 母「お父さんはどうしたの?」 おお、聞いてきた。 前提を思い出そう。 認知症の人は、何度でも同じことを聞いてくる。 まずは1回目。この後何度も聞いてくる。こう心構えをする。 「死んだんだよ」 「ああ、そう」 1分後。 「お父さんはどうしたの?」 認知症の人は、何度でも同じことを聞いてくる。 ほら、聞いてきた。 「死んだんだよ」 この後また聞いてくるは

【1000文字小説】タクシーに乗る

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「どちらまで行きますか?」 「駅までやってくれ」 「ハイ、駅までですね。ええと、ここから駅っていうと、ニューヨーク駅までですね」 「ですねじゃねえよ。ニューヨーク駅なんてそもそもあんのかよ。いいか、仙台駅にやってくれ。これから新幹線に乗るんだよ」 「失礼しました。てっきりニューヨークへ行くものだと」 「ここからタクシーでニューヨークは行けねえだろ」 「いけねえ」 「最近はタクシー乗る人どう?増えてる?」 「いやあ、最近は犬や猫ばっかりで。人間のお客さんは久しぶりなんですよ」 「犬や猫って、タクシーに乗ったりしないだろ。そもそもお金持ってんのか」 「お金は持ってるんですけどね」 「持ってんのかよ。聞いたことないよ」 「行き先がわかんなくて」 「そりゃ言葉が喋れないからな」 「お、ここ、新しいラーメン屋できたのか」 「先週オープンしましたね」 「美味いのかねえ」 「行列出来てましたよ。私も並びましたから」 「おぉ、美味しかったかい?」 「食べませんでした。バイトで並んだだけですから」 「バイトで並んだだけって、ちゃんとタクシー運転してろよ」 「この間なんですけどね、真夜中に女性のお客さんを乗せたんですよ」 「おいおい、怪談かい?」 「そのお客さん、霊園まで行ってくれって」 「怖いの苦手だよ」 「途中でミラーみたらいなくなってたんです」 「本当か」 「霊園だけに、料金も0円でした」 「それ言いたかったのか」 「あれ、ここ工事中ですね」 「仕方ないな。迂回してよ」 「近道知ってますよ。そっち回りましょう」 「近道知ってんのかよ。工事中じゃなかったら通んなかったのかよ」 「えへ」 「そうだ、ラジオつけてよ」 「すいません、この車ラジオないんですよ。その代わり、電子レンジがついてます。ホラ」 「本当だ。助手席になんか置いてるなって思ってたけど、電子レンジか」 「お弁当温めますか」 「温めないよ。弁当なんて持ってないよ」 「この前ここに猫が入り込んじゃって」 「猫が電子レンジに? もしかして、温めたか。都市伝説みたいに」 「えへ」 「はい、着きました。ここでいいですか」 「おう、いくらになる?」 「あ、メーター倒すの忘れてました。じゃあ5万円でいいですよ」 「なんだよ、5

ワールドスタンプブック「怪獣の世界」は未完成

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写真は『ワールドスタンプブック 怪獣の世界』 小さな袋に入ったスタンプ(小さなカード)を集め、台紙のスタンプブックに貼り付けて自分で図鑑を完成させるものだ。 子供の頃に集めたカードは、駄菓子屋で売っているかスナックのおまけについてくるものだった。 だがこのワールドスタンプブックはそんな場所には置いてない。さすが講談社で出していただけの事はあり、本屋で売っていたのだ。 レジの近くに置いてあり、一袋50円で購入する。袋の中には1番から324番までのスタンプのどれかが入っていて、200円の台紙に張り付けて完成を目指す。 1番のミクラスはなぜか表紙に貼る場所があった。怪獣や星人、ウルトラ兄弟だけではなく宇宙船のカードもあった。 ラゴンやガラモンは白黒だった番組のせいか写真ではなくカラーの絵になっている。 最初のうちはダブりもなく順調に台紙を埋めていくのだが、後半になればなるほどダブりが多くなった。 友達と取り替えようと袋やアルバムには書かれていたが、周りの友達で集めている子はほとんどいなかった。 小学校4年生だったが、カード自体はまだまだ人気があったように思うので、ただ単にこのスタンプブックの人気がなかったのだろうか。ワールドスタンプブックはシリーズ化していて結構続いていたので、我が町での人気がなかっただけか。 私の怪獣の世界のスタンプブックには195枚のスタンプが張り付けられている。ダブってアルバムに貼ってないスタンプは数えてみると112枚。29種類は2枚、3種類は3枚あった。 これだけダブっているのに出ないスタンプがある。確率的にはどうなのだろう。こんなものなのか? それともわざと全部均等に印刷してなかったのか。 324枚のうち204枚集めると、残りは講談社に注文できた。1枚7円。だが、集まったのは195枚。後9枚足りなかった。買おうとしても、売っている書店がなくなった気がする。そして注文を利用しないまま現在に至る。 袋もかなり残っている。よく捨てずに取っておいたものだ。ダブったスタンプをこの袋に入れれば、普通に商品になりそうだ。

見ていなかった円谷ヒーロー達

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ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンエースなど円谷ウルトラシリーズはずっと見ていたが、見ていなかった円谷ヒーロー番組も多数ある。 テレビが一家に1台、ビデオもない時代、見たくても見れなかった円谷番組。 ミラーマン 裏番組はシルバー仮面。我が家ではこのシルバー仮面を見ていた。シルバー仮面はミラーマンの始まる一週間前に始まり、我が家ではそのまま見続けた。 Wikipediaで調べると、シルバー仮面は2回目以降は視聴率に苦戦したと出ている。 我が家ではいいなと思って見続けたのだが、全国的にはつかみに失敗したのだ。 このミラーマン、放送前の雑誌の情報とは顔が違っていた。全然違ったので始まったミラーマンの前に違うミラーマンを放送していたのだと思っていた。この違ったミラーマンの方がカッコイイと思う。 リンク ジャンボーグA 見たかったのだが見ていなかった。裏番組を見ていたんだろう。再放送もやったんだろうが見ていない。 テレビは隣の県の電波が入ったので、映りの悪い放送を所々見た(映りが悪いのでずっと見ていられない)。 主役メカジャンボーグAが途中で交代、ジャンボーグ9が登場する。とはいえジャンボーグAが引退したわけではない。どちらも主人公が操縦しているので、2台同時には登場出来ないのだ。 リンク ファイヤーマン 見たかったのだが見ていなかった。歌は知っているからオープニングだけ見て、後は裏番組を見ていたんだろう。再放送をやったという記憶はない。 隣の県の電波が入ったが、再放送は見たことがない。 30話で終了したのは人気が出なかったからか。 ウィキペディアには、『制作当初の方針は「怪獣特撮番組の原点に還る」だった。』と出ている。 何故原点に還ろうと思ったのかは不明。 原点であれば、新しい番組で原点に還らなくてもウルトラマンの再放送で十分だったし、ウルトラマンを超える何かがなければ見続けないと思う。まあ、見てないんだが。 同時期のウルトラマンタロウは原点どころか子供向けというか幼児向けに特化して大人気。私的にはタロウはフザケた感じがしすぎてついていけなかったが大人気。このタロウの製作方針に反対していた一派が作ったのがファイヤーマンだったのだろうか。 この3

パイオニアのヘッドホンステレオ、ターザン

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ソニー ウォークマン 私はソニーファンだったが、ウォークマンは買った事がない。 再生専用というのが物足りなかったのだ。 どうせ買うなら録音も出来るのが欲しい。 どうせ買うならごちゃごちゃと機能が色々付いている方がいい。 なので、ウォークマンプロフェッショナルWM-D6が出た時は欲しいなあと憧れた。 録音が出来る。 ドルビーBが付いている。 ドルビーCが付いているマイナーチェンジ版WM-D6Cも出た。 5連LEDのレベルメーターまであった。 だがしかし、値段が高かった。D6が60,000円。D6Cだと64,000円。 同級生がD6を学校に持ってきた事があった。私はそれをうらやましく眺めていた。 パイオニア ターザン ウォークマン同様のヘッドホンステレオはソニー以外からも発売された。 パイオニアから出たヘッドホンステレオがターザン。 型番はPK-R7AW。 これは機能が充実している。 録音が出来る(再生専用の下位機種もあった)。 オートリバース。 防水。 レベルメーターは欲しいがこれはまあ妥協点だ。 何といってもデザインが気に入った。 ゴツくてカッコイイ。 ゴツくて防水でアウトドアで使えるというのがターザンの名前の由来なのだろう。 私は発売から1年ぐらい後に、電気屋で展示してあった機種を安く売る店頭展示品を購入した。 主な仕様 大きさ:W86×H116×D33(mm) 重量:440g(電池含む) 周波数範囲:ノーマルテープ 40~12,000Hz(EIAJ)       メタルテープ 40~15,000Hz(EIAJ) 実用最大出力:20mW+20mW(32Ω負荷、EIAJ/DC) (取扱説明書より) 箱 箱。中身が見えるのだが経年劣化で曇っていて見にくい。 本体 正面から。ALL WEATHERの文字。防水が大きなセールスポイント。ヘッドホンステレオの防水は確かこのターザンが世界初だったか。 赤いボタンがデカい。赤い△▽が早送り、巻き戻しボタン。再生専用の下位機種は赤ではなく黄色だった。 左側面。中央がノーマルとメタルを切り替えるテープセレクター、ドルビーBのON/OFFスイッチ。右側がポーズボタン、テープのA面B面切り替えボタン。

これまで使ったPHS端末の感想

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本日のニュースから。 Y!mobile、「PHS」の新規契約・機種変更・プラン変更を2018年3月31日をもって停止 PHS 15、6年前に私はPHSを使っていた。 PHSはPersonal Handy-phone Systemの略。 世間では途中からピッチ、ピッチと言い始めた。 それから10数年使ったが、格安SIMへ移行した。スマホを使ってみたくなったのだ。 PHSを今後使うことはないだろうが、これまで使った機種を紹介してみる。 KX-HF300 最初の機種はPanasonic、KX-HF300。メタリックシルバー。 アンテナがついている。今は皆内蔵されているが、以前は自分でアンテナを伸ばして使っていたのだ。アンテナの上の部分はもげてしまった。 テンキーは蓋を開けると出現する。普段は隠れているので、誤って押す心配もない。 裏面にはH"の文字が見える。H"は音声や画面をキレイにした機種の総称。 この時はDDIポケット。 H-SA3001V 次の機種は今は亡きサンヨー、H-SA3001V。 これもアンテナがついている。背面には1インチの画面がある。 メインの画面は1.8インチ。本体色はブルーを選んだが、内面はシルバーだった。 折りたたみケータイなので、使う時はパカッと開いて使う。 この時働いていた職場にはスタッフが7人いたが、その内3人がこの機種を使用していた。 DDIポケットのシェアが4割を超えた!それもこの1機種で。 その内の一人がドコモに転んだ時に、背面の電池パックをもらった。 私のバッテリーがヘタってきていたからだ。 その機種はシルバーだったので、私の端末はブルーとシルバーが混在することになった。 DDIポケットはウィルコムに社名変更した。 WX130S 最後はWX130S、セイコーインスツル製。愛称はX PLATE(テンプレート)。 画面はH-SA3001Vと同じ1.8インチ。 機能はカメラもなく、通話とメールのみ。 私は通話はほとんどせず、メールの送受信ばかりだったからこれで十分だった。 電池は10日くらいはもった。 色はブラックを選んだが、裏面はシルバー。 アンテナは内臓になったので、自分

【1000文字小説】冷蔵庫を買いに行く

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「冷蔵庫をお求めですか」 「ああ」 「これなんかどうですか」 「これか。デカイなあ」 「人間5人まで入りますよ」 「人間5人? 入れないよ。冷蔵庫に人間なんて」 「なんかのときに…」 「なんかのときってなんだよ。なんかのときって」 「ホラ、ケンカとかしちゃってウッカリ…」 「ウッカリってなんだよ。もっと小さいのでいいからさ」 「ではこれなどはどうでしょう」 「ほんと小さいな。手提げ金庫かと思ったよ」 「これでも人間の頭は入りますよ」 「人間の頭? いれないよ。人間の頭なんて」 「ホラ、ケンカとかしちゃってウッカリ…」 「ホラじゃないよ。ウッカリしないよ」 「これなんてどうですか。省エネタイプですよ」 「省エネタイプ?」 「電気量がなんとゼロ」 「ゼロ? すごいな。電気使わないの?」 「はい」 「どうやって冷やすんだよ」 「ここに氷を入れて、それで冷やします」 「昔の冷蔵庫みたいだな。で、その氷はどうやって準備するんだ」 「もう一台冷蔵庫を買ってもらって、それで作ります」 「もう一台ありゃあ、別にこれ使わなくてもいいじゃん」 「でもこれは電気代ゼロで…」 「これはいいから、他のやつにするよ」 「はぁ、ではこれなどはどうですか」 「随分薄いな」 「はい、ちょっとした隙間に置けますよ」 「置けるのはいいけど、隙間に入れたらドアを開けられないだろ」 「一回中身を入れたらずっと入れたままにしていて下さいね」 「下さいねじゃないよ。冷蔵庫なんて毎日使うもんだろ。他のにするよ」 「これはどうです」 「洗濯機みたいだな」 「はい、洗濯が出来ます。全自動で脱水、乾燥まで出来ますよ」 「洗濯機は持ってるからなあ。冷蔵品はどこに入れるんだ」 「もう一台別に冷蔵庫を買ってもらって…」 「これ、ただの洗濯機だろ」 「これなんかオススメですよ」 「テレビみないだな。もしかして」 「はい、テレビです」 「テレビって言っちゃってるな。もう冷蔵庫売る気ないのかよ」 「50インチで3万円です。安くないですか」 「安くなくてもいいからさ。俺が欲しいのは冷蔵庫なんだよ」 「おい、これなんていいじゃないか。大きさも手頃だしさ」 「これはオススメ出来ません」 「オススメ出来ないって、売り物じゃ

少年仮面ライダー隊員には簡単になれる

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昭和46年 欽ドン!で、「大人になってもまだ解散しないドジな少年探偵団」という作品があった。 子供の頃は笑っていたが、今となっては笑えない。私は未だ「少年仮面ライダー隊員」なのだから。 仮面ライダーが大ヒット。私も夢中になった。とはいえ段々同じパターンに飽きてきて、見たり見なかったりとなっていった。番組制作側もそんな気配を察したのか、劇中に少年仮面ライダー隊なるものが出現した。 私と同年齢ぐらいの子供たちが仮面ライダーに協力して、一緒にショッカーと戦う。明智小五郎に対する少年探偵団のようなものだったのか。おお、羨ましい…、何て事は全く思わなかった。 子供がショッカーと戦えるなら、仮面ライダーなんていらないだろう。 大人の仕事に子供が混ざると邪魔でしかない。 だが、自分が少年仮面ライダー隊員になれるとなると話は別だ。 講談社で発行しているテレビマガジン。その誌上で少年仮面ライダー隊員を募集していたのだ。 私は早速応募した。 特別な資格はなく、テレビマガジン編集部に返信用の切手を入れて送れば、誰にでも会員証が送られてきたと思う。 ショッカーと戦う割には、随分簡単に入れるものだ。 で、送られてきた会員証。 会員証には番号が振ってある。印刷ではなく1枚づつゴム印で押したのか。 私は85962番。 私の前に85961人少年仮面ライダー隊員がいる。 それとも盛ってるのか。 この番号が曲者で、私は引越しした時に住所を書き換えた。 元の住所を消した時に番号まで消してしまった。消そうと思ったわけではない。子供らしい不器用さで、消す範囲を間違えたのだ。 すると番号はあっけなく消えてしまった。 で、私は慌てて青いペンで元の字の消えた跡をなぞり、何とか復活させた。 以下、隊員証から。 『少年仮面ライダー隊員のちかい! ●隊員は各地の情報を本部に知らせて、仮面ライダーの対ショッカー作戦に協力すること。 ●隊員はちかいをまもり、世界の平和のためにつくすこと。 ●隊員は世界じゅうの友だちとなかよくし、たすけあうこと。 ●隊員はあぶないあそびをしないこと。交通事故には気をつけよう。 ●隊員は健康に気をつけて、よくあそび、よく勉強すること。』 仮面ライダーは平成になっても続いている。 少年仮面ライダー隊が解散し

宇宙猿人ゴリからスペクトルマンへ

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昭和46年 昭和46年は第2次怪獣ブームの年だった。 何と言ってもウルトラマンが帰ってきた年。 ミラーマンやシルバー仮面も始まった。 平成の今も続く仮面ライダーが始まった。 仮面ライダーを中心に考えると変身ブーム。 仮面ライダーの「変身」が大流行したのだ。 今だったら流行語大賞を取れる。 その第2次怪獣ブームが起こるかどうかはまだわからない昭和46年の1月、スペクトルマンは始まった。いや、始まっていたから、その流れに乗る形で製作されたのか。 スペクトルマンが始まったと書いたが、番組のタイトルは「宇宙猿人ゴリ」 敵のボスの名前がタイトルになっている珍しいパターンだ。ピーターパンじゃなくてフックみないな。 放送第1回、物語の終盤で、スペクトルマンが現れた場面だけを覚えている。 敵の怪獣の上をクルクル旋回するスペクトルマン。 何かしそうで何もせず回っているだけのスペクトルマン。 怪獣の出した光線か何かを浴びてスペクトルマンの背中が燃え出す。 背中が燃えながらクルクル回っていたが結局墜落。 ええ? どうなるのって所で次回に続く。 翌週の2回目。 スペクトルマンは本体の蒲生丈二の姿になって気絶していた。 このシーンを見て幼い私はガッカリした。 何かしそうで結局何もしないで墜落してしまったヒーロー。 これじゃあやはりスペクトルマンをタイトルにするわけにはいかない。 それでも後半は「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」、そして最後はついに「スペクトルマン」と出世魚みたいにタイトルが変わった。 途中見たり見なかったりが続いたスペクトルマン。 見たかったけれども裏番組も気になったのだろう。 見ていない回の翌日は、友達とのスペクトルマン談義についていけなかった。 話を聞くと見たい気になるのだが、見るとやはりガッカリしたのだろう。 日本ではまだスペクトルマンのレーザーディスクが発売されてない時期、外国版のスペクトルマンのレーザーディスクのジャケット写真を何かの雑誌で見た事があった。海外では大人気だったのだろうか。

レーザーディスクとVHD、どちらにするか

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写真は東宝のビデオディスクのカタログ。いつも行っていた電気屋に置かれていた。 ビデオディスクはもちろんDVDではなく、レーザーディスクとVHDだ。 昭和60年 東宝からビデオディスクが発売される。 カタログには、 『第1弾は6月21日、人気作品4タイトルを発売。(予約受付けは5月7日〜5月12日)』 と書かれている。 第1弾は「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」「ゴジラ」「家族ゲーム」「細雪」の4作品だった。 予約受付は一週間にも満たない、わずか6日間。なんでこんなに短かったのか。 欄外には、 ※限定発売ですので予約期間中に申し込まれた場合でも、商品をお渡しできないこともあります。ご容赦下さい。 と書かれている。 限定販売ってのが悩ましい。 買いそびれて仕舞えば、もう二度と手に入らない。 これはもう買うしかない。買うのはいいが、さて問題は、互換性のないレーザーディスクとVHD、どちらにするかだ。 うーん、どうしよう。 ビデオディスク。昭和60年当時はDVDでもブルーレイでもない、レーザーディスクとVHD。 レーザーディスクはパイオニアの商標で、プレーヤーはパイオニアだけが発売していた。 CDが発売される前年の昭和56年に登場。 我が町の電気屋で商品発表会みたいなのがあって、私はそこで初めて見た。 それに対してVHDはビクターが開発し、13社が採用していた。 ディスクは互換性がないのでレーザーディスクはVHDプレーヤーでは見られないし、逆もまた然り。 ビデオはベータとVHSが覇権を争っていたが、ビデオディスクにおいても同様の事が起こったのだ。 LDだけのタイトルがあったり、VHDだけのタイトルがあったりしたが、東宝みたいに両方出す会社も多かった。アナハイム・エレクトロニクスもエヴーゴ、ティターンズ両方にモビルスーツを納入していたし、どちらかがポシャってもどちらかが生き残ればそれでいい、そんな感じだ。 さて、この東宝から出るビデオディスク、私が欲しかったのは「ゴジラ」 定価は1枚9,500円。 ビデオ(ベータとVHS)も出ていたがこちらは13,800円だった。 買ってコレクションするならディスクだろう。そう決めていた。 だが、色々コレクションしたくても、そうそう何枚も買える値段ではな

ジャガイモの育て方

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昨日は庭にジャガイモを植えた。 ホームセンターで買ってきた男爵イモ3キロ。 ジャガイモは連作出来ないので毎年植える場所を変える。 植える時期 私の住んでいる東北の地方都市では今頃が植える時期。 ちょうど学校が始まって入学式のニュースなんかが流れる頃だ。 新聞に入るホームセンターの折り込みチラシに、種イモが載ればそれが合図。 チラシを見逃しても、ホームセンターに行って種イモが置いてあれば、それが植える時期。 ちょっと遅くなって種イモが売り場から消えても、今度は苗で売っている。それがなくなるまでが植える時期。 ジャガイモ ホームセンターの売り場にあるのは大抵は男爵、メークイン、きたあかり。 品種によって得手不得手の料理があるが、私は気にせず毎年男爵イモを購入。 男爵イモが一番汎用性があると思う。 私はジャガイモがあんまり好きではない。 出来たジャガイモはほとんど人にあげるので、男爵イモが無難かなと思っている。 植える当日、ジャガイモは大きいのは半分に切る。小さいのはそのまま。 切り口には灰をつける。 わかったか? はい。 一緒に買う物 ホームセンターの売り場には種イモの他に灰や肥料も一緒に置いてある。 別々の売り場にある店もあるが、一緒に置いてもらえると親切に感じる。 ホームセンターは少しでも多く売りたいだろうし、こっちも一気に買えるので便利だ。 スーパーなんかでよくある。白菜の売り場に鍋つゆを置いたり、焼きそばの売り場に紅ショウガ。 植え方 畑を一直線に掘って行く。 で、掘った場所にジャガイモを置いていく。 切ったジャガイモは切り口を下にする。 間隔は私の靴のサイズ(27.5センチ)を目安にしている。 ジャガイモを置いたら、ジャガイモとジャガイモの間に肥料を置く。 土をかけて出来上がり。 イモが腐らないように水はかけない。 「早く芽を出せ柿の種、出さなきゃハサミでちょん切るぞ」と唱えてオシマイ。 植えた後 植えた後 芽が出て伸びてきたら、ひょろひょろしてるのはもぎ取る。 そのタイミングで、根元付近に土を被せる。 随時、雑草が出ていたら引っこ抜く。 収穫 花が咲いた後、段々枯れてきたら収穫時期。 去年は認知症の母がまだ早いのに引っこ抜いてしまったので、小さいイモば

1000文字小説とは

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1000文字小説とは 文字通り1000文字で書かれた小説の事。 1000文字ちょうどだけではなく、1000文字前後の小説も1000文字小説と呼んでいる。 大抵は空白(スペース)を一文字とは数えない。 1000文字小説は1000文字で書くというわかりやすさがあるが、元々小説の長さの規定には明確な定めがない。 ウィキペディアやその他の情報によれば、大体の目安は以下の通り。 目安なのであくまで「程度」「ぐらい」となる。 ショートショート、掌編→原稿用紙20枚ぐらいまで 短編→原稿用紙10枚〜80枚程度 中編→原稿用紙100枚以上300枚未満程度 長編→原稿用紙300枚以上 20枚のショートショートもあれば10枚の短編小説もある。 81枚から99枚までは空白だ。短編中編どちらでもいいんだろう。あんたはまだ子供なんだからとかもう大人なんだからといいように使い分けられる頃みたいに。 1000文字小説はショートショートであり、掌編に含まれる。 文字数を決めた文学の形としては、俳句や短歌がある。 俳句であれば17音、短歌は31音。 これらは指を折りながら数える事が出来るし、そうやって文字数を数えながら作っていくが、1000文字小説だとそうはいかない。 1000文字でも指を折りながら数え事は出来るが、まあ現実的ではない。 原稿用紙に書いても枚数はわかるが文字数は結局1文字1文字数えなければわからない。 だが、パソコンのエディタやワープロソフトを使えば瞬時に文字数がわかる。 基本的に文字数カウントのソフトを使わないといけないので随分現代的な文学だ。 1000文字小説はいつから始まったのか 目指せインターネット文豪 1998年に実業之日本社「チャレンジ!公募」編集部が主催し、1000文字小説が募集された。 私はこれに応募していたが、それ以前に1000文字小説という言葉を聞いた事がなかった。 「1000文字以内の短編小説」という呼称では長いので、「1000文字小説」となったのだろうか。 ネット上にはこれ以上の情報はなさそうだ。 リンク 〈1000文字小説・目次〉

突撃! ヒューマン!!は13回で!!!

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写真は突撃!ヒューマンカード。 屋外で撮影した番組宣伝用のスチール写真。 番組内ではカードの様な場面は一切ない。 なぜならば…。 昭和47年 『『突撃! ヒューマン!!』(とつげき ヒューマン)は、1972年10月7日から同年12月30日まで日本テレビ系で全13話が放送されたヒーロー番組。毎週土曜日午後7時30分から午後8時に放送された。』ウィキペディアより。 突撃!ヒューマンだと思っていたが、突撃! ヒューマン!!だ。!マークがヒューマンの後に二つ!! この突撃! ヒューマン!!、我が家では毎週見ていたのだが、異色のテレビヒーローだ。 普通の特撮番組だと思って見始めたら、これが!違う!! 8時だよ全員集合のように、舞台の上でヒーローの活劇が!行われたのだ!! 客席が映し出されると子供達が舞台を見つめている。舞台の上では活劇が行われている。 軽〜い事件が起きて、それが解決してからCMに入る。 その時に「ヒューマンの本当の活躍はこれからだ」みたいなナレーションが入った。 それで私はCM明けから普通のヒーロー番組みたいな展開になるのだと思った。 ずっと舞台ではあるまい。これから本当の活躍っていうんだから、他の番組みたいになるんだろう…。 しかし、CM明けで番組が再開しても、やはり舞台の!ままだった!! 物語は舞台の上で進んでいく。 「さあみんな、ヒューマンを呼ぼう」の声で、会場の子供たちは手に持った円盤を指でクルクル回す。 するとワイヤーに吊られたヒューマンが登場する。 このヒューマンサイン、直径30センチぐらいの円盤。 指を入れる穴が空いていて、子供達がクルクルと回す。 小学館の学年誌にも付録でついてきた。 だが、付録だけあってテレビのやつとは違ってサイズが小さい。 指ではなくマッチ棒を刺してクルクル回そうなんてバージョンもあった。 で、登場したヒューマンが敵を倒しておしまい。 今回は予告編だろうみたいな期待があって、次週こそは普通の特撮番組みたいになるだろう。 そう思ってまた見るが、相変わらずの舞台劇。 全13話で終了。そりゃ終了するだろう。 同じ設定で舞台でなかったらもうちょっと続いただろう。せめて26回位は。

いつのまにか小学生コミックスは

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写真はてんとう虫コミックスのドラえもん第1巻と第2巻。 私が住んでいた町では中々入荷せず、いつ売り出すのかと待ち遠しかった。 入荷してもすぐに売り切れていたのか。 今みたいにアマゾンなんてなかったし、注文するなんていう知恵もなかった。 昭和48年 「おぉー、ついに出るんだ」 当時姉が読んでいた小学館の学年誌に、ドラえもんの単行本発売の広告が出ていた。1巻と2巻が並んでいた広告だったと思うが、今単行本の奥付を見ると同時発売ではないので記憶違いか。マンガ大好き、特にドラえもん大好きな私としては狂喜乱舞する出来事だった。 広告でのレーベル名は小学生コミックス。ほほぅ、小学生コミックスか。出版社が小学館だからだな。だが、実際に発売された時はてんとう虫コミックスとなっていた。 何でてんとう虫なのだ。 小学生コミックスでよかったのにと私は不満に思った。小学生コミックスだと小学生以外が買いにくいからだろうか。あなたはまだ幼稚園だからねこれは小学生になってからよと親が買ってくれなかったり、中学生になるともう恥ずかしくて買えなかったり。 てんとう虫コミックスという名称になると、川崎のぼるが「てんとう虫の歌」というマンガを描いていて、それと被るのも不満だった。私の中では藤子不二雄が何と言っても一番だったからだ。これでは川崎のぼるがメインっぽいではないか。 今ウイキペディアを見ると、 『てんとう虫コミックスの名称は、『川崎のぼるの漫画「てんとう虫の歌」に由来する。』 とある。やはりそうだったか。だが何故由来したのかは不明。当時の力関係は藤子不二雄より川崎のぼるの方が強かったのだろうか。 まあ発表された時と本番とでは名称が違うというのはよくある事だ。 例えば、ゼロダイバーがキカイダーに。ウルトラエースがウルトラマンエースに。スカイブラザーがキョーダインに。ジムナスがビビューンに。 それぞれ名称変更の事情はあるのだろうが、でもみんな元の方がいい感じがする。ゼロダイバーでいいんじゃないか。ジムナスっていうのもかっこいいし。小学生コミックスも悪くはない。 小学生コミックスなら、中学生になればマンガは卒業できたかもしれない。でも、てんとう虫コミックスなので、未だに卒業できずにいるオッサンなのだった。

ウルトラセブンの再放送は一体何回やったのか

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写真は家にあったウルトラセブンバッチ。何かのおまけ? どうやって手に入れたのかはもう記憶にない。 小学校に行く前には持っていたような覚えがあるから、昭和45、6年頃のモノだろうか。 セブンのお腹には謎のボタン(カラータイマー?)がついている。パチモンだった? 裏を見ても©のマークはない。 ポーズも何となくおかしい。コイツ〜ッてやってるみたいだ。 昭和40年代 ウルトラセブンの最終回、夜明けの空をバックにふらつきながら立つセブン。「ウルトラセブンの正体は私たちのダンだったのよ」というアンヌのセリフ。セブンは自分の星へと帰っていく…。 夕方のテレビは子供向け番組の再放送の時間だった。 中でもウルトラセブンは人気なのか何度も何度も再放送されていた。 またウルトラセブンかぁと思いながらも、再放送されるとやはり見てしまう。なので、これまで一番見たテレビ番組は多分トムとジェリーかこのウルトラセブンだ。 何回目かの(何十回目?)ウルトラセブンの再放送が終わった。 さて、明日からは何が始まるのか。期待しながら画面を見ていると次回予告のテロップが映し出された。「新しく新ウルトラセブンが始まります」と書かれている。 ウルトラセブンの再放送が多かったとはいえ、これまではセブンが終わってからまたセブンが始まるなんて事はさすがになかった。 ウルトラセブン→スーパージェッター→ウルトラセブン→ハクション大魔王→ウルトラセブン→タイガーマスク→ウルトラセブン→ひみつのアッコちゃん→ウルトラマン→ウルトラセブンくらいのローテーション。それが、ウルトラセブン? だが、ただのウルトラセブンではない。ウルトラセブンの前に「新」とついている。新ウルトラセブン。 いくらなんでもセブンが終わってからまたセブンはやるまいと私は思った。 それに当時は新オバケのQ太郎なんかをやってたので、ウルトラセブンも新ウルトラセブンという新作が始まるのだと思ったのだ。 翌日期待して見ていたテレビからはこれまで同様のウルトラセブンが始まった。