【1000文字小説】ピントを合わせる
圭介は、昼休みになると屋上へ行った。
フェンス越しに見える線路を、ただ眺めるためだけに。
友人がいないわけではない。孤立しているわけでもなかった。話しかけられれば答えるし、グループワークも普通にこなす。
けれど、誰かと長く一緒にいると、自分の輪郭が少しずつ曖昧になっていく感覚があった。
だから昼休みだけは、一人になれる場所へ行った。
ある日、屋上の隅に古い望遠鏡が置かれているのを見つけた。
銀色の筒はところどころ塗装が剥げ、三脚には薄く錆が浮いていた。
天文部のものらしかった。今は活動していないと、後で聞いた。
圭介は何となく覗き込む。
白くぼやけた光しか見えなかった。
ピントノブを回す。
少し輪郭が出たと思うと、また滲む。
合わせようとするほど、どこが正しいのか分からなくなった。
次の日も、圭介は屋上へ行った。
スマートフォンで望遠鏡の使い方を調べる。
対物レンズ。
焦点距離。
倍率。
知らない言葉を読んでいるうちに、昨日より少しだけ見え方が変わった気がした。
放課後、誰もいなくなった校舎で、圭介は何度も望遠鏡を触った。
遠くの鉄塔で合わせる。
ビルの窓で合わせる。
ほんの少しノブを回すだけで、景色が急に立ち上がる瞬間があった。
電線。
室外機。
ベランダの洗濯物。
今までただの塊だったものが、細かく分かれて見えた。
その感覚が、妙に気持ちよかった。
月も見てみた。
最初は視界に入れるだけで精一杯だった。
少し触れただけで月は逃げていく。
倍率を上げると、わずかな揺れまで大きくなる。
力を入れるほど、うまくいかなかった。
冬が近づくころには、木星の縞が見えるようになった。
小さな点だと思っていたものに、模様があった。
圭介はしばらく黙って見ていた。
別に、だから何かが変わるわけではなかった。
次の日も授業はあるし、クラスメイトは相変わらず騒がしい。
昼休みになれば、誰かが適当な話を振ってくる。
圭介も適当に返す。
そのあと、また屋上へ行った。
フェンスの向こうを電車が通り過ぎていく。
望遠鏡を覗く。
今日はうまく合わなかった。
何度回しても、景色が微妙に滲む。
風のせいかもしれないと思った。
けれど、しばらくすると、自分の手が少し震えていることに気づいた。
圭介はノブから手を離した。
暗くなりかけた空に、白い点がいくつか浮いている。
どれが何の星なのかは、まだよく分からなかった。