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【1000文字小説】いつもの味の見知らぬ店主

 シャッター街の一角、錆びついたトタン屋根の「中華料理 松楽」は、時が止まったような佇まいだった。健太は、週に一、二回はこの店を訪れる。目当ては、もう何年も味が変わらない、素朴な醬油ラーメンと、いつも白いタオルを首に巻き、くたびれたTシャツ姿の、齢七十は超えているであろう、丸刈り頭の店主との他愛ない会話だ。 今日もまた、暖簾をくぐり「いつもの!」と声をかけた。厨房から出てきたのは、見慣れない女の子だった。小さな体格で、少し戸惑った表情で健太を見上げている。 「あれ、店主は?」 女の子は、まるで長年の友人に話しかけるかのように、けろりと言い放った。「店主?俺だよ、俺。ちょっと様子が変わっただけさ」 健太は耳を疑った。「え?様子が変わったって……店主、家族はいないって言ってたよね?」 「家族なんていないさね。ずっと一人だよ」女の子は得意げに胸を張る。「昨日の晩、いつものように餃子を焼いてたら、急に体が軽くなってね。気づいたらこのザマさ。びっくりしたよ」 そう言って、彼女はカウンターに両手をついた。その小さな手を見つめ、深々とため息をつく。「まあ、びっくりしたなんてもんじゃないさ。最初は腰を抜かしたね。でも、しょうがないだろ?店は開けなきゃならん」 健太は混乱した。あの太く、少ししゃがれた、いつもの店主の落ち着いた声が、今は甲高い声で響いている。その小さな体から発せられる「俺」という一人称は、やはり奇妙な違和感を伴っていた。しかし、話し方は、確かにあの口癖の多い店主そのものだ。 「ほら、いつものラーメンだろ?ちょっと待ちな」 女の子は健太の注文を復唱し、厨房へと消えていく。数分後、女の子が運んできたラーメンは、いつもの「松楽」の味だった。琥珀色のスープ、細麺、そしてなると巻き。健太は、割り箸を割る手が一瞬止まった。目の前の湯気の向こうに、いつもの店主の姿を幻視する。意を決して一口スープをすする。じんわりと体に染み渡る、懐かしい味だ。 「どうだい、味は変わってないだろ?」女の子はカウンター越しに健太の顔を覗き込んだ。「体が小さくなっちまっただけで、腕は落ちてないんだから」 健太はレンゲを持つ手を止めて、ラーメンの器と、カウンター越しに覗き込む店主の顔を、何度も何度も見比べた。確かに、その目元には、長年この店を守り続けてきた店主の、力強い意志が宿っているように見えた。...