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【1000文字小説】一次会の次

 結衣はスマートフォンに表示された通知を見て、指を止めた。 差出人は、同じサークルだが名前と顔がようやく一致する程度のクラスメイトだ。通知バーにはハートと泣き顔の絵文字がぎっしり並んでいる。 「……合コン、か」 声に出すと、六畳一間の部屋に虚しく響いた。机の上にはコンビニ弁当と、開きっぱなしの同人ノート。今まさに、推しキャラが絶体絶命から逆転する名場面を書いていたところだった。 「お願い!本当にピンチなんだってば!」 「人数足りなくてさ……!」 「私、幹事だから、マジで……!」 三通目で、結衣は観念した。既読をつけるタイミングを一秒だけ悩んでから、短く返す。 「わかった。行く」 どうせ、数合わせだ。誘えば断らない女子。そういう立ち位置であることは、結衣自身が一番よくわかっていた。 鏡の前で服を選ぶが、選択肢は少ない。地味なシャツにジーンズ。髪は整えたが、メイクは最低限だ。盛る努力をするくらいなら、帰宅後の妄想に体力を残したい。 居酒屋の個室に入ると、予想通りの光景が広がっていた。巻き髪にフレアスカートの女子たちと、スキニーデニムにロゴTの男子。いわゆる「ウェイ系」だ。結衣は端の席に滑り込み、烏龍茶を頼んだ。 「えっと、ゆいちゃん?サークルの子だよね?」 香水の強い女子が笑顔を向けてくる。結衣は一瞬、相手の目を見るタイミングを測り、少し遅れてうなずいた。 「うん。よろしく」 会話はクラブ、旅行、昨日の飲みの失敗談。単語だけが耳に残り、意味は流れていく。結衣は相槌を打つ回数を心の中で数えながら、表情が固まらないよう頬に力を入れた。 そんな中、向かいに座る眼鏡の男子が、妙に静かなことに気づく。周囲が盛り上がるたびに笑うが、話題にはほとんど加わらない。烏龍茶を飲む速度が、結衣と同じだった。 (……主人公の親友ポジションだな) 無意識に、頭の中で属性を当てはめる。チャラそうな男は噛ませ犬、香水女子は強気ヒロイン。配置が決まると、世界は急に楽しくなる。 眼鏡の彼がふと視線を上げ、結衣と目が合った。一瞬、気まずそうに笑って会釈する。そのぎこちなさに、結衣はほんの少しだけ胸がざわついた。 (あ、今の仕草……使える) 早く帰りたい。早くこの感覚を忘れないうちに、ノートに書き留めたい。 結衣は烏龍茶を飲み干し、一次会終了の言葉を今か今かと待ちながら、頭の中で物語を走らせていた。...

【1000文字小説】五月の空の青

 五月の風が、乾いた音を立てて葉桜の葉を揺らす。新緑の眩しさが目に痛い程だ。足元には、背の低い雑草達が青々と茂り、その間から小さな白い花や紫色の花が顔を覗かせている。誠は近所の公園を散歩していた。最近の対局は連戦連敗で、失意の中での散歩だ。 誠は四十歳。将棋界ではそろそろベテランと呼ばれる域だ。これまでの最高成績は竜王戦の本戦ベスト8。タイトル経験はない。これからも多分ない、そう思いながら深くため息をつく。風が吹き抜け、葉桜の葉がカサカサと鳴る。まるで自分の空虚な戦歴を嘲笑うかのようだ。思えば、この世界に入って二十年。同期の棋士には、タイトル戦の舞台に立ったり、解説者としてテレビに出演したりしている者もいる。だが自分はずっと足踏みをしているような気分だ。 公園の池では、鯉がのんびりと泳いでいる。水面には、五月の青空が映り込んでいる。ベンチに腰を下ろし、コンビニで買った缶コーヒーを開けた。あたりには、初夏特有の、青臭くもすがすがしい草木の匂いが満ちている。この匂いを嗅ぐたび、将棋漬けだった日々を思い出す。あの頃は、夢中で、ただ強くなりたいと願っていた。遠くでは子供達が歓声を上げ、その声が柔らかな午後の空気に溶けていく。 公園にあるグラウンドでは、親子がキャッチボールをしていた。まだ幼い子が、ぎこちないフォームで投げたボールが、父親のミットに収まる。プロ野球の世界も皆が皆、ホームラン王や沢村賞投手になれるわけではない。それでも、彼らはグラウンドに立ち続ける。子供がボールを追いかける姿に、自分もまた将棋盤の前に座り続けるしかないのだと、重ねてしまう。 「先生、お疲れ様です」 声の主は近所に住む将棋好きの老人だった。「昨日の対局、残念でしたね。しかし、あの終盤の粘り、感動しましたよ」誠は苦笑した。「ありがとうございます。でも、負けは負けですよ」老人は、誠の隣に腰を下ろした。「わしはね、先生の将棋が好きなんですよ。派手さはないけれど、誠実で、一生懸命で。若い頃から奇手ばかり追っていたわしには、先生の将棋が眩しいんです。きっと、努力は報われますよ」報われますよか。そんな保証はない。盤に向かうしかない。それが、自分の選んだ道だ。 立ち上がり、公園を出る。五月の空はどこまでも高く、青い。その青さはあまりにも鮮やかで、自分の内側の澱んだ感情とは対照的に、残酷なほど冷たく感じら...