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【1000文字小説】モヒカンとポケモンガム

 路地裏から出てきた男は、人通りの多い大通りへと向かう。鋭い眼光は周囲を射抜き、その風貌はまるで世紀末の荒野から迷い込んできたかのようだった。頭頂部を彩る鮮やかなピンク色のモヒカンは、威圧感を通り越し、見る者に畏怖を与える。革ジャンを身につけ、肩をいからせて歩くその姿に、すれ違う人々は視線を逸らし、道を開けた。頬には古傷があり、その口元は常に険しく結ばれている。全身から漂う「俺に逆らうな」というオーラに、誰もが道を譲る。それが、この街における彼の日常だった。 信号が青に変わり、男は交差点を渡ろうとした。横断歩道の脇にいたおばあさんが、足が不自由なのか、ためらっている様子。男は、低い声でおばあさんに声をかける。「ああ?ババァ、ここは危ねぇからな。手を引いてやるよ」。そう言って、おばあさんの手を力強く引いて横断歩道を渡る。おばあさんは深々と頭を下げ、「ありがとう、お兄さん」と震える声で言った。男は何も言わず頷き、「もう二度と、こんな危ねぇ道は一人で通るんじゃねえぞ」と言い残し、路地裏へと消えていった。 男はコンビニの駐車場で、困り果てた様子の母親と、駄々をこねて泣いている幼い子どもを見かけた。男は、ため息をつきながら、子どものそばにしゃがみこむ。子どもは、男の恐ろしい顔に怯えて泣き止む。男はポケットからポケモンガムを取り出し、子どもの手に握らせた。「これで我慢しろ」とぶっきらぼうに言うと、子どもは不思議そうにポケモンガムを見つめる。母親は驚きながらも、男に頭を下げた。男は「けっ」と舌打ちして、煙草をくわえた。 午後、男は公園を通りかかった。そこで、いじめられている小学生の姿を見かける。数人の大きな子どもたちが、一人の小さな子を囲んでからかっていたのだ。男はため息をつきながら、子どもたちのそばにゆっくりと近づいていく。男の姿に気づいた大きな子どもたちは、顔色を変え慌てて逃げ出した。男は何も言わず、いじめられていた子どもの頭をぽんと軽く叩き、そのまま公園を出て行った。 夜の街を歩いていた男は、道端で泣いている女性を見かけた。どうやら酔っぱらいに絡まれていたらしい。男は、その酔っぱらいの前に立ちふさがると、低い声で「おい、何してんだ」と言った。男の威圧感に、酔っぱらいは怯え、何も言えずに逃げ出した。男は女性に「大丈夫か」と短い言葉をかけ、女性が頷くのを見てから、夜の街...

【1000文字小説】成長期、のはずがない

 月曜日。寝ぼけ眼で洗面台に向かい、鏡に映る自分を見て圭一は目を擦る。少しだけ背が伸び肩幅も広くなっているような気がしたのだ。筋トレの効果だろうか。ここ最近はサボりがちだった。まあ、気のせいだろう。三十歳になって成長期なんて、笑い話にもならない。 火曜日。スーツの肩がきつい。会社のエレベーターに乗り込むとやけに圧迫感がある。同僚の女性が「圭一さん、なんか体がっちりしました?」と声をかけてきた。冗談めかして笑い飛ばしたが、内心穏やかではない。帰宅後、風呂に入る前に体重計に乗る。数値を見て圭一は二度見した。昨日より五キロ増えている。 水曜日。もう気のせいでは片付けられない。朝起きた瞬間、全身がぎしりと音を立てるような感覚に襲われた。服はどれも袖を通すのがやっとでパンパンになっている。会社の椅子が小さく感じる。周囲の視線が突き刺さる。何があったのかと聞かれ「ジムに通い始めて…」と苦し紛れの嘘をつく。いくら筋トレをしても、骨格まで一日で変わるはずがない。 木曜日。ベッドから起き上がると、天井が近く感じる。身長が伸びているのだ。測ってみると、昔より二十センチは高くなっている。会社に行く事はやめた。昨日買ったばかりのシャツが、もうボタンが閉まらない。三十歳の大人が、成長痛のような鈍い痛みを全身に感じながら、ひたすら大きくなっていく。まるで風船に空気が入っていくようだ。 金曜日。アパートの部屋が狭い。立ち上がると頭をぶつける。歩くと壁にぶつかる。恐怖が全身を支配した。このまま大きくなり続けたら、どうなるのか。天井を突き破り、やがて町を破壊する巨大な怪物になるのだろうか。ネットで症例を検索するが、そんな馬鹿げた話は一つも見つからない。 土曜日。アパートの床が軋んだ。壁のひび割れが広がる。窓の外に広がる空が、いつもの何倍も近く感じられる。もはやこの部屋にいることはできない。玄関から出ようとするが、体が引っかかってしまう。力任せに体をねじ込むと、玄関の枠が盛大な音を立てて壊れた。近所の人たちの悲鳴が聞こえる。 日曜日。一週間前まで、ただの平凡な会社員だった圭一は、今や見上げるほどの巨人になっていた。もう元の自分には戻れないのか。街を壊さぬよう、静かに一歩を踏み出す。その足音は、まるで雷鳴のようだった。見知らぬ天井を叩き割る夢を、昨夜見た気がする。それはただの夢ではなかったのだ。...

【1000文字小説】止まない雨

 梅雨の気配は、朝目覚めた瞬間のけだるい空気で知る。頭が、鉛のように少し重い。カーテンの向こうは灰色の絵の具を溶かしたような空。アスファルトを叩く音は、いつもより少しだけ鈍く響く。今日は一日雨らしい。 窓の外を眺めながら、美佐子は冷えたコーヒーを一口飲んだ。口の中に広がる苦味。四十五歳の誕生日が近いが、考えないようにしている。特別な期待もなく、かといって絶望もない。ただ淡々と一日が始まる。 着替えて、簡単な化粧を済ませる。鏡に映る自分は、疲労が薄く貼り付いたような顔をしている。シミも、小じわも、隠しきれなくなってきた。ファンデーションを重ねる指先には、昔のような高揚感はない。ただの習慣。ただの義務。 傘をさしてマンションを出る。アスファルトに水玉模様が広がっては消えていく。水気を吸い込んだ紫陽花が、軒下で重たげに首を垂れている。そのくすんだ色合いは、まるで美佐子の心の色を映したようだった。くすんだ青、濁った紫。かつては、この花の色を美しいと思った。けれど今は、何だか自分に似ているような気がして、目を逸らしたくなる。美しさが失われゆく過程を、静かに見せつけられているようで。若い頃に憧れた、きらびやかな未来はどこにもない。ただ、毎日同じ電車に乗って、同じオフィスに通うだけ。 大きな傘の群れが、水たまりを避けながら歩いていく。その一つに加わり、美佐子も歩を進めた。駅のホームは、雨で濡れた人々の熱気と湿気がこもっている。満員電車に乗り込む。若い女性社員たちの弾むような声が耳につく。彼女たちの会話は、きらきらと光る宝石のよう。ブランドのバッグ、SNSで話題のスイーツ、週末の予定。美佐子もかつては、そんな会話の中心にいた。今はもう、蚊帳の外だ。話しかけられることも、話しかけることもない。ただ、車窓の外を流れる雨粒を、ぼんやりと見つめている。雨は、止まない。永遠にこのまま、降り続くのではないかと思うほどに。 雨脚は少し強くなっているようだった。どこにも行き場のない雨粒が、ガラスに何度も叩きつけられている。まるでやり場のない感情を、必死にぶつけているかのように。美佐子は小さく息を吐いた。雨の音が、胸の奥深くまで染み渡っていく。この雨は、いつになったら止むのだろう。そして、この、満たされない気持ちも。美佐子はもう一度窓の外を見た。一瞬だけ雨脚が弱まったが、それでも灰色の空はど...