【1000文字小説】笑顔のはじまり
カーテンの隙間から差し込む光が、彩花のまだ寝ぼけた意識を鋭く突き刺した。昨日の夜に見たサスペンス映画の余韻も、気の置けない幼馴染との軽快な会話も、すべては遠い過去の出来事のようだ。枕元に置いたスマホのアラーム音が鳴り、憂鬱な月曜日の朝が始まる。 ベッドの中で大きく伸びをしてから、彩花はのろのろと体を起こした。冷蔵庫の扉を開けて食パンと賞味期限切れ間近の牛乳を取り出した。トースターにパンを入れ、古びたコーヒーメーカーのスイッチを押す。フィルターにセットされたコーヒー粉の上に湯が注がれ、ゆっくりと黒い雫が落ち始めた。 着替える服は、無難なブラウスに動きやすいスカート。おしゃれに気を使う元気もなく、ただオフィスで浮かないだけの選択だった。メイクも手早く済ませる。ファンデーションでクマを隠し、血色を良く見せるチークを乗せる。誰かに見られるためではなく、自分を騙すための儀式だった。鏡に映る疲れた顔は、一体何年前からだろう。 玄関のドアを開け、重い足取りで駅に向かった。道沿いのケヤキ並木は、まだ緑の葉を残しながらも、ところどころが薄黄色に色づき始めている。朝のひんやりとした空気には、秋特有の乾いた匂いが混じり、夏の湿気をすっかり忘れさせていた。足元には通勤通学の人々に踏まれた乾いた落ち葉が一枚。 駅のホームには、いつもと変わらない無表情な人々。電車が到着し、人の波に押し込まれる。吊り革につかまりぼんやり外を眺めていると、向かいのホームに止まっている電車の窓に自分の姿が映っている。しかし、その顔は笑っていた。満面の笑みで、こちらに手を振っているのだ。彩花は目を擦り、もう一度見直す。そこにはいつもの疲れた、無表情な自分の顔が映っている。 会社最寄りの駅に着き、雑踏の中を歩く。スーツを着た人々の波に紛れ、彩花はまたいつも通りの一員に戻る。ビルのエントランスをくぐり、エレベーターに乗る。 デスクに座り、パソコンの電源を入れる。いつも通りの月曜日の朝が、いつも通りに始まろうとしていた。あれは何だったのか。胸の奥には、まるで一枚の写真のように、電車の窓に映った笑顔の自分が焼き付いていた。その笑顔を思い出しながら、彩花はデスクの上にある小さな手鏡に向かって、ぎこちない笑顔を作ってみた。それは、この憂鬱な月曜日を、少しだけ特別なものに変えてくれるかもしれない。そう思いながら、彩花はキ...