【1000文字小説】消えない不機嫌な顔

 一月中旬の凍てつく寒さが肌を刺し、吐く息が白く染まる。再開発されたビル群の間に、古びた定食屋だけが取り残されたように佇んでいる。「めし処 とみや」の暖簾をくぐると、から揚げと味噌汁の匂いが懐かしく鼻腔をくすぐった。冷え切った身体に、店内の温もりがじんわりと染み渡る。無精ひげを生やした俺は、昔と変わらぬカウンターの端に座った。


「いらっしゃい!」威勢の良い声に顔を上げると、見慣れた顔が入って来た。元同僚の佐藤だ。少し癖のある髪と人懐っこい笑顔は、昔と変わらない。少しだけ頬の肉が落ちたように見えた。「あれ? もしかして、上田さん?」。彼は目を丸くしている。俺は驚きで声が出なかった。会社を辞めて十年、一度も会っていなかった。

「元気だったか。まさかここでまた会うとはな」

「ほんとにな。なんて偶然だ」

俺が会社を辞めた後、あの会社はしばらくして潰れたらしい。「もうとっくになくなったよ」と佐藤はあっさり言う。潰れたと聞いても今となっては遠い過去の出来事だ。

「こういう偶然って重なるもんだよな」と佐藤はニヤリと笑った。

その言葉に俺は店内に視線を巡らせた。そして、座敷席の隅に座っている男に目が止まった。嫌いだった元上司だ。白髪が目立ち、深い眉間のシワが、昔と変わらぬ険しい表情をさらに強調している。いつも不機嫌で、理不尽な要求ばかりしていた。今も変わらず、険しい顔で定食を食べている。

彼はこっちに気づいているだろうか。もう一度、そちらに視線を戻した。もしかしたら、上司の姿が消えてしまうのではないかと思ったのだが消えずにいた。幻ではないらしい。昔の会社にいた人間三人が偶然同じ時間に同じ店にいる確率は一体どれくらいだろう。

あの頃は、毎日のようにこの店で食事をしていたが、まさかまた同じ店で同じ時間を過ごすだなんて。佐藤との再会は温かい偶然だったが、上司との再会は冷たく奇妙な偶然だ。胸の奥に、あの頃の嫌な記憶がよみがえってくる。


食事を終えて店を出て、佐藤と別れ再びビル街の中を歩く。定食屋の温かい匂いは、冷たい風に掻き消されていった。懐かしい思い出と、不愉快な思い出。偶然が重なり合った今日の出来事を、俺はしばらく忘れることは出来ないだろう。その時、背後から声をかけられた。

「おい、上田。久しぶりじゃないか」

振り返ると、そこにいたのは元上司だ。俺は驚きで言葉を失った。人の嫌がる事をする、昔のままの元上司。


<1000文字小説目次>


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