【1000文字小説】灰色のシンデレラ・ストーリー
企画書をトントンと揃える指先が、微かに震えていた。これまでの残業と休日出勤が、ようやく形になったのだ。あかりは営業企画部に籍を置いているが、決して仕事ができるタイプではない。けれど、この企画だけは違った。地道な市場調査、眠い目をこすりながら捻り出したアイデア、それらを丁寧にまとめ上げた。我ながら、いい出来栄えだと思う。
「できました、課長」
あかりは、上司である課長の五十嵐に企画書を差し出した。社内でも圧倒的な人気を誇る人物だ。長身でスタイルが良く、スーツを着こなす姿はまるでモデルのよう。その見た目に違わず仕事もずば抜けてできる。彼の一挙手一投足に、オフィスの女性たちはいつもため息をついている。
五十嵐は企画書を受け取ると、軽く目を通し始めた。彼の流れるような視線が、あかりの心臓を早鐘のように打たせる。
「……へえ」
五十嵐は少し目を見張った。「これ、いいねえ」
その一言に、あかりの努力が報われた気がした。「ありがとうございます!」
「切り口が面白い。ターゲット層の分析も的確だ。少し修正すれば、すぐにでもプレゼンにかけられる」
五十嵐はにこやかに笑い、あかりは嬉しさで胸がいっぱいになった。彼に認められた。その事実だけで、すべての苦労が霞んだ。
数日後、役員会でのプレゼンが五十嵐によって行われた。あかりは自分のデスクから、会議室のドア越しにその様子を見守っていた。五十嵐の澱みのない口調、的確な受け答え、そしてスライドに映し出される、見慣れた企画書。
役員たちの反応は上々だった。「これは期待できる」「五十嵐くん、良い仕事をしたね」
五十嵐はスマートに頭を下げている。
プレゼンが終わり、五十嵐が会議室から出てきた時、あかりは思わず駆け寄った。「課長、お疲れ様でした!すごい好評でしたね!」
五十嵐はあかりを見ると、少しだけ困ったような、それでいて涼しい笑顔を浮かべた。「ああ、ありがとう。好評だったな」
「私の企画が、あの企画が……」
「そうだな。少し手直しはしたが、ベースは君のおかげだ」
あかりは舞い上がった。
その日の夕方、社内報のメールが回覧された。そこには、役員会で高く評価された新規企画の概要と、それを推進するプロジェクトチームの立ち上げが記載されていた。
企画立案者:五十嵐健吾(営業企画課 課長)
あかりは自分の目を疑った。何度も、何度もメールを読み返した。そこにあかりの名前はなかった。五十嵐課長の名前だけが、堂々と記されていた。
「私の企画が……」
ぽつりと呟いた言葉は、誰にも届くことなく、騒がしいオフィスの中に消えていった。五十嵐は相変わらず社内の人気者だ。あかりは、自分がどれだけ頑張っても、この灰色のオフィスでは透明人間なのだと、悟った。企画書に込めた情熱が、冷たい灰になっていくのを感じた。(文字数:1148)