【1000文字小説】錆びゆく日々

 朝焼けが窓を薄く染める頃、文子はいつものように起き上がった。一人暮らしのこの家は、広すぎるようで、狭い。遠く離れた息子家族からの電話は時折あるが、一緒に暮らす話は出ないし、文子自身も望まない。気楽な一人の方が性に合う。

体に悪いところはない、と言いたいところだが、現実は違う。朝一番、ベッドから足を下ろすと、膝と腰が「ギシリ」と悲鳴を上げる。目も霞み、新聞の文子字はぼやける。耳も遠くなり、テレビの音量を上げても、何を言っているのか分からないことが多い。血圧は薬でなんとか落ち着いているが、皮膚は乾燥して痒い。全身が老いという錆に侵されているようだ。

それでも、朝の日課は欠かさない。ラジオから流れてくるお馴染みの音楽に合わせて、ゆっくりとラジオ体操をする。一つ一つの動作が、凝り固まった体を少しずつほぐしていく。「新しい朝が来た、希望の朝だ」という歌詞が、皮肉のように響く。希望、ねえ。この先、何があるというのか。

朝食は、質素なもの。ご飯と味噌汁、漬物少々。ゆっくりと時間をかけて食べる。食事が終わると、縁側に出て日向ぼっこ。庭の手入れをしたい気持ちはあるが、腰が痛くて長くは続けられない。仕方なく、座って咲き乱れる草花を眺める。

庭の草花は、ぼやけて輪郭が曖昧だ。白や黄色、紫といった色の塊が、まるで水彩画のように滲んで見える。かつては、一輪一輪の繊細な花びらの皺まで見て取れたのに、今はその区別もつかない。風が吹くと、色の塊がゆらゆらと揺れるだけ。その揺らぎを見ていると、自分の存在もまた、この曖昧な世界の一部になっていくような気がした。

昼間は、古いアルバムを引っ張り出してきては、ページをめくる。若かりし頃の自分、今は亡き夫、まだ幼かった息子。どの顔も、今は遠い記憶の中だけにある。息子家族と一緒に暮らしたくないのは、自分のペースを崩したくないという頑固さもあるが、迷惑をかけたくないという意地もある。それに、向こうには向こうの生活があるのだ。

夕暮れ時、空が茜色に染まる頃、一日の終わりを感じる。晩ご飯を済ませ、早めに床に就く。夜が更けるにつれ、心細さが募ることもある。「もし、このまま朝が来なかったら」そんな思いが頭をよぎる。老いとは、孤独とは、こういうものなのだろうか。

文子の人生は、静かに、そして少しずつ終わりへと向かっている。それは悲しいことかもしれないが、抗うことはできない自然の摂理。今日もまた、文子は一人、静かな夜の闇に身を委ねる。(文字数:1024)

<1000文字小説目次>


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