【1000文字小説】宇宙の樹々

 「いらっしゃいませ」

観葉植物をかき分けるようにして店に入ると、五十代と思しき店主がにこやかに迎えてくれた。友人のマリが「世界が変わる体験だった!」と興奮気味に勧めてきたヒーリングサロン「樹々」。先週、カフェで会った時のマリの顔は、まるで恋に落ちた少女のようにきらきらと輝いていた。「葉子、絶対行った方がいい。私、宇宙と繋がったもん」と、普段スピリチュアルとは無縁な彼女の言葉で、私は予約を入れたのだ。

視界を埋め尽くす緑。壁一面にシダ類が這い、天井からはエアプランツやモンステラがシャワーのようにぶら下がっている。床には背の高いゴムの木やヤシの仲間が林立し、ベッドがまるでジャングルの只中にあるかのようだ。

「すごいですね、この数」

「ええ。世界一、観葉植物があるヒーリングサロンを目指してましてね。すでに達成しているかもしれませんが」

店主は柔和な笑みを浮かべて、私をベッドへと案内した。日々の残業で凝り固まった肩と、将来への漠然とした不安を抱えての訪問だが、この緑の多さには圧倒される。

「では、目を閉じて、植物たちの呼吸を感じてみてください」

店主の声が、無数の葉のざわめきと混じり合う。言われた通りに目を閉じた。

――何も感じない。

マリは「宇宙と繋がった」と言っていたが、風の音、土の匂い。それだけだ。五分、十分と時間が過ぎていく。店主は植物に水をやったり、葉の向きを直したりしている気配がする。ヒーリング、しているのだろうか?

目を閉じたまま、内心で焦りが募る。高額な施術料が頭をよぎる。この時間、無駄になっているのでは? いや、私が鈍感なだけか? もしかして、みんな「感じたフリ」をしてるだけなんじゃないの?

「どうですか? 何か感じますか?」

店主が尋ねてきた。正直に「いえ、特に」と言うと、店主は少し驚いた顔をした。

「そうですか。では、少しパワーを強めますね」

店主は私の頭の上に手をかざし、目を閉じた。私も再び目を閉じた。

――やっぱり、何も感じない。

むしろ、さっきから店の外を走る車のエンジン音の方が気になる。クラクションの音、誰かの話し声、日常の音がやけに鮮明に聞こえてくる。

ヒーリングを受けているはずなのに、心がどんどん現実に引き戻されていく。

(マリの興奮ぶりは何だったの? マルチ商法に引っかかった人みたいだったけど……いや、私が疲れてるから受け付けないだけ? どっちにしても、このままでは貴重な休日と高額な施術料が無駄になってしまう……)

「あの……」

私が口を開きかけた時、店主が口を開いた。

「今日はここまでにしておきましょう」

会計を済ませ、店を出る。外の空気が、やけにすっきりと澄んでいた。肩はまだ凝っている。だが、ふと見上げた空の青さが、いつもより少しだけ鮮やかに見えた、ような気がした。

――気のせいか。

私はため息をつき、雑踏の中へと足を踏み入れた。(文字数:1177)

<1000文字小説目次>


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