【1000文字小説】空の見張り

 夕刻、町の上を影が横切った。

長屋の屋根瓦をなぞるように、黒いものが静かに進んでいく。

羽音はほとんどしない。

凧ほどの大きさの枠に、四つの薄い羽根が付き、ゆっくりと回っている。腹の下には小さな灯があり、赤く、また青く、一定の間を置いて瞬く。動力は軽量磁気コイルと自己制御ジャイロで、微風にも軌道が乱れないようになっていた。フレームは竹と薄鋼の複合素材で、屋根を滑るように飛ぶ設計だ。

町人たちは足を止めない。

見慣れた巡回だからだ。江戸は火が怖い。

一度燃えれば、風に押され、道を越え、川を越え、町ごと奪われる。桶も拍子木も、人の声も、間に合わぬことがある。

だから空を使う。

夕餉の支度をする女は、竈の火を少し落とす。鍋から立つ湯気の量を確かめ、蓋をずらしたままにした。油を扱う職人は、紙を畳み、蓋を確かめる。子どもが線香花火を取り出せば、親が叱るより先に、屋根の上を影が止まる。それは火を見る。

煙の温み、空気の揺れ、屋根裏にこもる熱を測る。目に見えぬ数値が、腹の奥で刻まれていく。異変があれば、即座に奉行所と火消組に知らせが送られる。伝達は微弱振動信号と光パルスで、太鼓も鐘も鳴らぬうちに、人が動き出す仕組みだ。

長屋の軒先で、老人が湯呑を傾ける。

「今日もよう見張っとる」

そう呟き、湯の表面が揺れぬうちに一口すする。返事はない。

それは決められた高さで、決められた速さで、町の形をなぞるだけだ。

夜が深まるにつれ、空の灯は増えていく。星より低く、星より規則正しく、江戸の上を巡る光。人は眠る。火を恐れながら、安心して。空の見張りが、今夜も黙って回っているからだ。

女の目に一瞬、微細振動で知らせる装置の光が映った。

「今夜も異常なし」——それを意識するより先に、彼女の心は、ふだんと同じ、ほんのわずかな緊張のあとにゆるむ。


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