父の自転車と母の自転車が止まっている。その隣に俊樹は自転車を止めた。止まっているときには三台並んでいるが、走っているときに三台が並んだことはない。
玄関脇の電燈が点いている。人が近づくとセンサーが反応して明かりがつくのだ。時折野良ネコが歩いても反応している。午後七時を過ぎている。サッカー部の俊樹は毎日が練習で帰りはいつもこの時間になった。「ただいまー」と言いながら玄関の扉を開けた。
父が台所にいた。父は六ヶ月前に会社を辞め、次の職を探していた。会社で募集した早期退職に応募して辞めたのだった。退職金は多く出たが、次の職は中々見つからないようだ。
会社を辞めて家にいても食事の準備は母がしていたし、掃除も洗濯も代わらずに母がやっていた。今日の母は大学の同窓会があって帰りが遅くなると言っていた。それで父が夕飯の用意をしているのだろうか。
母は出かける前に、今日はデニーズにでも行ってねと言ったが、父は聞いていなかったのだろうか。「おかえり」と父は息子に声をかけた。
「ただいま」
「腹が減ったか」
「うん」
「今日は父さんが美味いもん食わせてやるぞ」張り切った声だった。父が料理をしている姿を今日初めて見た。料理などできるのだろうか。ファミレスに行った方がおいしいものを食べられるんじゃないか?
でもそんなことを言ってやる気になっている父の機嫌を損ねるのも嫌だ。職が決まらないせいか父はすぐに怒るのだった。
「何か手伝うことない?」
「いや、おとなしくテレビでも見てろ」と父は言った。それで俊樹はおとなしくテレビを見ていた。先月に買った60インチのテレビだった。画面が大きくて迫力があるのはいいが、退職金の無駄遣いだった。父は満足そうだったが、母は不満だった。俊樹は何も考えずただ大画面の恩恵を享受するだけだった。
それから三十分後に食事は出来上がった。おいしそうとはいえない見た目だった。俊樹は不安だったが父は自信作だという風な表情で俊樹が料理を口に入れる姿を眺めている。
見た目とは違い、父の料理はおいしかった。部活で疲れて腹が減っていたとはいえ、美味かった。いつも食事を作ってくれている母には悪いが、その何倍も美味いと思った。
「どうだ、美味いだろ」と父は自分で作った料理を口に運びながら言った。
「うん」素直に俊樹は言った。
「これなら料理人になれるだろ」父は自信に満ちた声で言った。将来は食堂がオープンするかもしれない。(了)
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