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2019/03/15

【1000文字小説】水をまく

 どこまでも青い空が広がっている。真夏の太陽はそれが任務とばかりギラギラと照り付けている。気温は三十度を超えていた。連日うだるような暑さだ。
 一番暑い時間を過ぎた頃、貴子は今月六歳になったばかりの愛娘に声をかけた。
「沙耶伽、庭に水をまいて」
「はーい」
 元気な返事が即座に返ってくる。沙耶伽は貴子の役に立つ事が嬉しくて仕方がない様子だ。沙耶伽は読んでいた本を放り出すと、クーラーのきいていた部屋から急いで外に飛び出した。
 暑さが体にまとわりついてくる。隣の庭の方からは蝉の鳴き声が聞こえてきた。
 沙耶伽は、それほど広くはない庭を見渡した。庭の今が盛りの草花達、沙耶伽と貴子が蒔いて育てた向日葵やグラジオラス、桔梗にコスモス、マリーゴールド、百日草にリアトリス……はぐったりしおれてきている。椿や椛や山茶花、木犀や白木蓮といった木々も元気がなさそうに見える。
 隣の庭は、誰も水をまかないのだろうか? さらに元気がないように見える。
 最後に雨が降ったのはいつだったか。沙耶伽は思い出せない。天気予報ではしばらく雨は降らないと言っていた。みんなが水をほしがっている。
 このままではいけない。
 水をまかねば。
 沙耶伽は空を見上げた。黙って、じっと空を見つめた。
 貴子がふと庭を見ると、まだ水はまかれていないようだった。沙耶伽に頼んでからもう一時間近く過ぎている。貴子は子供部屋にいた沙耶伽に聞いた。
「沙耶伽、水まき忘れたの?」
「ううん」沙耶伽は首を左右に振った。
「じゃ、どうしてお母さんの頼んだ事をしてくれないの」
「それはね。そろそろかしら」
 沙耶伽は貴子の手を引っ張り、二人で揃って庭に出た。沙耶伽は空をじっと見上げる。
「まだみたい。ママ、もう少し、待ってね」
「何かあるの?」
「うん。とってもいいこと!」と沙耶伽が元気良く言った。
 しばらくすると—
 ぽつりぽつりと雨が降って来る。

(1998/07/17/勝ち抜き小説合戦応募 文字数:788)



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