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2019/03/15

【1000文字小説】親指

「なあ、おい」
「はい?」黒塗りのベンツを運転している井上が、ちらと助手席の相田を見て応じた。
「お前さあ、迷信とか信じる方か」
「迷信ですか、いきなりなんですか。犬が西向きゃ尾は東、とかですか」
「なんかちょっと違うな。嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれるとか、食べてすぐ寝ると牛になるとか、そういう類いのやつだよ」
「夜口笛を吹くと蛇がくるとか、ですか」
「そうそう」
「俺はそんなの信じちゃいないですけど」
「霊柩車を見たら親指を隠すってのは知っているか?」
「そういえば前の方に霊柩車が見えますね。確か、親が早死にしないようにでしょう? あんなの、ほんとに迷信ですよ。信じてる人なんかいるのかなあ」と言った後、しまった、という表情になって「相田さんは信じているんですか」と恐る恐る言う。
「ああ、信じているとも」
「す、すいません。……でも、意外ですねえ」
「そうか? まあ、きけ。俺がまだ小学生だった頃だ」
 そう言われて井上は現在の相田がランドセルを背負っている姿を想像しておかしくなった。
「俺はな、霊柩車を見たら親指を隠すなんて事はばからしくてな、霊柩車が走っているのを見ても親指なんか隠さなかった」
 井上は、俺だってそうですよ、という顔で頷いている。
「でもな、友達はみんな隠すんだよ。そして俺の親は早く死んじゃうぞっていうんだ。だけど、逆に俺はそういう奴等をばかにしていたよ。うちの親はいつもぴんぴんしてるぞってね」
「いますよね、そういう子。いきがっている子」井上は妙に嬉しそうに言う。
「そんなある日、親父が突然死んじまった」
「……御愁傷様です」
「交通事故だったんだがな。居眠り運転のトラックに跳ねられておしまいさ」
「あの、もしかして」
「前の日にな、霊柩車を見かけて、友達はみんな親指を隠したのに、俺だけはいつものように隠さなかった。反対に親指を突き出したりした」
「ああ、やっぱり」
「俺はそれ以来霊柩車を見ると必ず親指を隠すようになったよ」
「そうだったんですか。……でも、相田さん、小指だったらずっと隠れたままですよね」
「うるせえ、ばか」
 そう相田が言ったとき、前を走っていた霊柩車が左折をし見えなくなり、相田はようやく親指を出したのだった。
「でも、おふくろさんには長生きして欲しいですよね」と井上がきくと、
「いや、三年前に死んじまったよ」相田は何気ない口調でそう言ったが、表情はどこか寂しそうに見えた。

(1998/09/25/勝ち抜き小説合戦応募 文字数:996)



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