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2013/06/03

【1000文字小説】旅立ち



和弘は出て行く決心をした。

美都子が帰って来る九時過ぎまで三時間ばかり間があった。その間に荷物をまとめて出て行こう。そう決心した。

外は朝からの雨が降り続いていた。明日まで止みそうにもない。

いつも事を決めてもだらだらして中々実行に移さない和弘だったが今日は違っていて、非常にテキパキと下着や洋服や本やCDや歯ブラシやタオルやシェーバーを、美都子のところに来た時と同じバッグに詰め込んだのだった。

黙って出て行くのはどうか、と思ったが帰ってくるのを待ってじゃあと言ってもはいさようならと美都子が言うはずがなかった。どうしてよと言って激怒するか、泣き叫ぶか、包丁を取り出して和弘に切りかかって来るか。

置き手紙を書こうか。手紙を置いていくだけなら手間もかからない。文章を書くのは苦手で学校を出てからは住所と名前以外の事柄はほとんど書いた事はなかったが、さよなら、とだけ書いていけばいいのではないか。それですべてわかるだろう。いいや、荷物がなくなっていれば出ていったと分かるはずだ。わざわざ手紙などいらないだろう。

タンスの中に美都子のへそくりがあったはずだった。見られている事に気がつかなかった美都子が嬉しそうな顔でタンスに一万円札を数えながら入れていたのを見た事がある。

和弘はタンスをそっと開けた。下着の奥に隠れて封筒が五つあった。一つ出してみて中の一万円札を数えたらちょうど百枚あった。それが五袋。同じところに隠すなんて無用心な奴だ。もっと他にもないか探したが見つからなかった。まあ、これだけあればいいかと和弘は行きがけの駄賃を決め込んだ。

和弘は荷物を持って部屋を出た。ドアの鍵を閉めた。鍵は郵便受けから中に入れた。入れたときに、傘を持って来ればよかったと思ったがもう遅かった。ドアノブに手をかけてガチャガチャするが開かなかった。

まあいいか。濡れて行こう。

和弘はマンションを出た。雨が和弘を濡らした。急ぎ足で地下鉄の駅に向かった。五分程度で着くからそれほど酷くは濡れないだろう。

靴の紐がほどけていた。気づかずに踏んで転んだ。新しいスタートなのになんて事だ。紐を結び直す。雨に濡れながら紐を結んでいると腹が立った。

くそ。なんて事だ。ちくしょう。新しいスタートなのに、新しいスタートなのに…。

雨が止んだ。いや、止んだのではない。誰かが傘を差しかけてくれたのだった。和弘は顔を上げる。にっこりと微笑んだ美都子がいた。(了)


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