【1000文字小説】誰かが



俊平は午後十時に布団に潜り込んだ。明日の朝は四時過ぎには起きなければならない。仕事は五時から始まる。その為にはもう眠らなければならないのだった。
夜中の二時半を回った頃に俊平は目を覚ました。何者かがいる気配がする。布団の中で動かずに恐る恐る目だけを動かした。それから一気に半身を起こして電気をつけた。部屋に明かりが灯る。いつもの見慣れた部屋だった。四十インチの液晶テレビ、小型ステレオ、机の上のデスクトップパソコン、本棚、何の変わりも無い。
何者かがいた気配はもう感じられなかった。単なる夢だったのかもしれない。現実だと感じる夢を見ることがある。それだったのかもしれない。俊平は起きたついでに台所に行って冷蔵庫からビールを取り出した。一週間前に買ってきたビールはよく冷えていた。喉を鳴らして飲んだ。これから一時間半は眠れる。ビール一本ぐらい何ともないだろう。いつも眠る前まで三本は飲んでいるのだ。
ふと窓に目をやる。カーテンが少しだけ開いていた。眠る前にはきちんと閉めたはずだった。窓の向こうは駐車場になっていて、カーテンが開いていると部屋の中が丸見えになってしまうので、いつも意識して閉めていたのだった。それが開いていた。
俊平はカーテンに手をかけた。もう少し開けてみる。あっ、という驚きの声を上げた。手が震えていた。自分の手ではないようだった。窓に赤い文字で何かが書かれている。窓の外側から書かれたのではない。内側から書かれていた。内側から。俺が書かないとしたら、一体誰が書いたんだ?
『お早う』
赤い文字はそう書かれていた。赤い文字。それは口紅だった。口紅。女性が口につける化粧品。俊平は、エイズの世界へようこそ、というアメリカ生まれの都市伝説を思い出した。だがこの部屋に女性が来たことはない。
お早う、か。
最初に感じた恐怖はなぜかもう感じなかった。俊平は口紅を持っていないし、誰かがこの部屋に忍び込んでこの文字を書いたとしか考えられない。誰かが。もしかしたら、それは、人間ではないかもしれない。それでも恐怖を感じなかった。
お早う。
俊平は声に出して言ってみた。
ここに書かれていた文字は、殺してやる、でもなく、死ね、でもなく、お早う、だった。こんにちは、でもなく、さようなら、でもなく、お早う。俊平は全然眠くなかった。お早う。今日はいい日になりそうだった。さて、この文字は消すべきか。お早う。もう一度声に出す。(了)


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