【1000文字小説】孤立定数
彼女は、人類が社会的動物だという定義を、最初から信じていなかった。
少なくとも、彼女が扱える範囲の観測結果は、それを支持していなかった。
深宇宙通信研究所の地下解析室は、常に人の気配がなかった。壁面の冷却装置が一定の周期で低く唸り、空気は乾ききっている。ジュリアは端末の前で背筋を伸ばし、首の後ろに残る鈍い疲労を指で押さえた。長時間の解析作業のあとに必ず残る、彼女にとって馴染み深い感覚だった。
画面に並ぶのは、過去二百年分の人類史データ。人口変動、都市集中率、通信量、戦争発生頻度。彼女の任務は、それらを集団行動モデルに当てはめ、予測誤差を算出することだった。
社会性仮説は明快だ。
人間は協力するほど安定し、結束するほど繁栄する。
だがジュリアの結果は、いつも同じところで破綻した。
通信密度がある水準を越えたあたりから、モデルは乱れ始める。都市が巨大化するほど、争いと崩壊の確率が跳ね上がる。協力が増える局面ほど、システムは不安定になる。
彼女は数値を疑わなかった。
疑ったのは、前提だった。
ジュリアはモデルの最下層にある仮定を書き換えた。
人間は社会的動物である。
その一文を削除し、代わりに入力する。
――人間は、孤立を基本単位とする知的生物である。
個体が自律している限り、系は安定する。
他者との関係は、ノイズを増幅させ、期待値を歪める。
共有は効率を生むが、同時に破壊も生む。
ジュリアは「他者」という変数を最小化し、シミュレーションを再起動した。
解析室の照明がわずかに暗転し、ファンの音だけが残る。
結果は、静かに収束した。
都市は分散し、国家は機能を失い、個人は互いに干渉しないまま生存する。モデル上では、文明は爆発的に進歩しないが、途切れることもない。争いは激減し、技術は必要な分だけ更新され続ける。
それは、誰にも誇示されない文明だった。
ジュリアは画面から目を離し、解析室を見渡した。
ここには彼女しかいない。
それでも、不安定さはなかった。
この結果を公表すれば、研究所は彼女を排除するだろう。
社会性を否定する結論は、社会の中では生き残れない。
それでも、事実は変わらない。
人類は、群れたときに最も不安定になる。
ジュリアは端末を閉じた。
冷却装置の低音が、わずかに遠く感じられた。
孤立は、必ずしも欠陥とは言えない。
それは、人類にとって最も自然な状態なのかもしれない。