【1000文字小説】毎年恒例、本命チョコがないのが寂しい
会社のドアを開けると、いつも一番乗りの社長の田中がいた。朝から大きな声で挨拶をして、オフィスに明るさをもたらす田中社長。「おお、真琴ちゃん、おはよう!いつもご苦労様」
「おはようございます、社長」
真琴は紙袋から渋めのパッケージのチョコレートを取り出す。
「皆さんでどうぞ、ささやかですが」
「わざわざ悪いねぇ!真琴ちゃん、毎年律儀だなぁ」
大切そうに受け取る田中は心底嬉しそうだ。
続いて出社してきたのは、三歳年上の先輩デザイナー木下だ。普段は寡黙だが、仕事に対しては真摯な姿勢を見せる。
「おはようございます、木下さん」
「おはよう、小野寺さん。早いね」
真琴は、木下には別の種類のチョコレートを渡す。
「あぁ、ありがとう。悪いね」
木下は少し照れくさそうに受け取った。
三人目は真琴と同期入社の営業担当、佐藤だ。明るい性格でムードメーカー的な存在。
「真琴、おはよう!今日も美人だね!」
「もう、佐藤さん、からかわないでください。いつも言われますよ。はい、どうぞ」
「おっ、ありがとう!愛してるぜ、真琴!」
佐藤は冗談を交えながらチョコを受け取る。
最後に新人デザイナーの伊藤。入社二年目の二十三歳。真面目で素直な好青年だ。
「おはようございます、小野寺さん」
「おはよう、伊藤くん。はい、どうぞ」
真琴は、伊藤には可愛らしいパッケージのチョコレートを渡す。
「えっ、小野寺さん、ありがとうございます!」
伊藤は目を輝かせて喜んだ。
真琴は自席に戻り一息つく。今年の義理チョコ配りも無事に終わった。この一連の作業は手間もお金もかかるけれど、決して嫌ではなかった。むしろ、年に一度、普段あまり口に出せない感謝の気持ちを伝える良い機会になっている。けれど自席に戻り自分のデスクに目を落とすと、そこにあるのは自分へのご褒美として買った高価なチョコレートだけ。そう思うと本命チョコがないことが、じんわりと胸に染みる。
チョコレートの甘い香りが、ほんのりとオフィスに漂っている中、ふと紙袋の中に見覚えのない、リボンのついた一箱が残っていることに気づいた。確かに、男性陣四人分しか買っていないはずなのに。真琴は首を傾げ記憶をたどったが、もう一個買った覚えはどう探してもない。
朝出る時に個数は確認した。ということは、この会社の中の人が私にくれた? それも黙って。真琴は、まるで秘密の謎を解き明かしたかのような、悪戯っぽい微笑みを浮かべながら社内を見渡した。(1000文字)