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【1000文字小説】外のトラブルと内の散らかり

 会社帰りの夜、川島真紀はアパートの階段を上りながら、廊下に漂う不穏な空気に気づいた。隣の部屋の前で、男女が言い争っている。 「だから、今日はバイト先に一緒に行く約束だろ」  低く押しつけるような男の声に、女の子は一歩引いた。 「そんな約束、してません」  嫌がる様子がはっきりしている。彼女は、挨拶を交わす程度の隣の住人、女子大生の理奈だった。 真紀は一瞬迷ったが、見て見ぬふりはできなかった。自分のことは面倒でも、目の前で困っている人を放っておくのは、もっと面倒だった。 「あれ?今日は宅飲みの約束だけど。彼氏?」  咄嗟に口から出た嘘に、自分でも驚く。 「彼氏なんかじゃありません!」  理奈は勢いよく否定した。男は真紀を睨みつける。 「なんだ、お前」 それほど体格がいい男ではないが、それでも男だ。暴れられたら負ける。空気が張りつめたが、男は舌打ちし、 「バイトが終わったら、また来るからな」  そう言い残して階段を下りていった。 「助かりました。でも、また来るって……」  理奈の声は震えている。 「じゃあ、うち来る?」  自分でもなぜそんなことを言ったのかわからなかった。 「え? いいんですか」 真紀は自分の部屋のドアを開ける。 その瞬間、理奈は目を見開いた。 床一面に散らばる服、読みかけの本、空のコンビニ弁当。足の踏み場もない。 「ど、泥棒が入ったんじゃないですか?警察に言った方が……」 「これ、普通。私の通常営業」 真紀は乾いた笑いを浮かべたが、内心では激しく後悔していた。 外のトラブルを避けるために開けたドアの向こうに、こんな内側の惨状を晒すことになるなんて。理奈は呆然と部屋を見回し、そして小さく笑った。 「……でも、さっきよりは安心しました」 真紀は、その言葉に少しだけ救われた気がした。 <1000文字小説目次> リンク

【1000文字小説】錆びたトランクと最後の夏

 蝉の声が焼けつくように響く午後だった。祖父の家の離れにある物置小屋は、湿った木と油の匂いがこもり、時間がそこだけ濃く沈殿しているようだった。遺品整理の手伝いに来た僕は、積まれた段ボールの奥から、錆びた金属のトランクを見つけた。 留め金を外すと、軋んだ音が狭い小屋に跳ね返った。中には色褪せた写真、封書、そして白砂の詰まった小さな硝子瓶があった。 手紙の宛名は「ヒロシ様」 差出人は「ユリ」 日付は昭和十九年だった。封を切ると、紙の繊維がわずかに崩れた。 「最近は夜になると、遠くで地鳴りのような音がします。海の色も、夏なのに鈍く濁っています。皆、来月には町の男たちが呼ばれるだろうと囁いています」 抑えた文字の奥に、日常の輪郭が歪み始める気配が潜んでいた。 続く写真には、若い祖父とユリが並んで写っていた。海辺の光はやわらかいのに、どこか影が長い。写真の裏には「昭和十九年七月二十日 約束の場所にて」とだけある。 その言葉が、どうしても頭から離れなかった。 それが本当に“約束の場所”かどうかは分からなかった。ただ、祖父の古い地図を広げると、何度も折り返された海岸線が一箇所あった。赤鉛筆の線は消えかけ、印とも傷ともつかない跡が残っているだけだった。理由を後から作るような気持ちで、翌日、僕はそこへ車を走らせた。 たどり着いた入り江は、観光地の喧騒から外れ、風だけが通り抜ける静かな場所だった。だがその静けさは現在のものではなく、かつて誰かが声を潜めて立っていた時間の名残のように感じられた。 波打ち際に立つと、風のない方向から、わずかに鉄の軋むような低い響きが胸に触れた。あの日、祖父とユリは、この音を聞きながらどんな沈黙を共有したのだろう。 手紙の最後にはこうあった。 「もし約束の日に会えなくても、砂だけは海へ返してください。あなたがここに立っていた証が、潮の中に紛れるように」 僕は硝子瓶の蓋を開け、白砂をそっと海へ戻した。粒がほどけて沈むと、すぐに波が平らに撫でていった。その瞬間、風が強まり、海の匂いの奥に人の息のような気配が混じった。 帰宅して祖母にトランクを見せると、祖母は写真を手に取り、しばらく目を閉じた。 「ユリさんの字だね……あの頃はね、何が明日なくなるのか、誰にも分からなかったのよ」 それ以上、祖母は語らなかった。語られないことで、かえって真実が際立つようだった...

【1000文字小説】今日から悪の軍団に

 夕暮れの空を背景に、「ブレイブキック!」という勇ましい声が響き渡った。正義の味方、キャプテン・ブレイブが悪の組織「ダークネス」の戦闘員たちを次々と倒していく。子供の頃、瓦礫の下敷きになりかけたところを彼に助けられた俺――健太は、今も変わらずその勇姿に憧れていた。 今日も今日とて、ブレイブの戦いぶりはかっこよかった。華麗なキック、光る拳、そして決めの台詞。「悪は滅びる!」 ……かっこいい、んだけど。 「悪の組織が弱すぎるんだよな」 俺は思わず独り言をもらした。幹部は毎回同じような作戦を繰り返し、戦闘員たちはブレイブの攻撃をただ受け止めるだけ。これでは、ブレイブの「強さ」だけは伝わってくるが、「苦悩」や「努力」といったヒーローに必要な要素が全くない。ヒーローは、強い敵がいてこそ輝くものだ。 「まずはブレイブを地雷原へ誘い込み、そこから遠距離攻撃。それをブレイブがギリギリで弾き返して……」 敵の動き、配置、シナリオ展開。俺はぶつぶつと理想の戦闘シーンを呟き続ける。もっと手に汗握る戦いが見たいんだ。 「……面白い提案だ」 背後から、低く、しかし感情のこもった声が聞こえた。振り返ると、そこにはダークネスの幹部の一人、冷徹な仮面をつけた男が立っていた。ダークナイトだ。彼は組織の中でも現場の指揮を執る男で、現在の体たらくに苛立ちを感じているようだった。 「君の言う通り、今の我々は彼の引き立て役にもなっていない。君のその『戦略眼』、我が組織で試してみる気はないか?」 「えー、悪の組織に!?」 思わず素っ頓狂な声が出た。憧れのヒーローの敵組織にスカウトされるなんて、マンガでもなかなかない展開だ。 「断る理由はないだろう。君は我々の組織を強くする方法を知っている。君の立てた作戦で、奴を追い詰めることができるかもしれん」 ナイトは静かに俺を見据える。彼の目には、俺の呟きが「効率的な攻略法」に見えているようだった。もし俺が「ダークネス」に入って、ブレイブが真に輝けるような、最高の舞台を演出することができたら? もっと強くて、もっとドラマチックな戦いを生み出すことができたら? 「……分かった」俺は決意した。「今日から悪の組織に力を貸す。ただし、俺の指示に従ってもらうぞ」 そう言って、俺は決意を新たにした。誰よりもキャプテン・ブレイブを愛する俺が、最強の敵になってやるんだ。正義の味方...

【1000文字小説】二人の選択

 「これ、本物っぽい……」 見つけたのは里奈だった。オフィス街の喧噪から少し離れた、人気のない路地裏。残業を終え、麻美と帰路についていた里奈は、ゴミ袋の横に無造作に転がっていた黒い物体に目を留めた。それは一目で「それ」とわかる形をしていた。拳銃だ。 「まさか。おもちゃでしょ」丸顔で柔らかな雰囲気を持つ麻美が、笑い飛ばそうとするが若干声が震えている。 長い黒髪は艶やかで、意志の強そうな瞳が印象的の里奈は、それをゆっくりと拾い上げた。ひんやりとした金属の重み。ずしりとした感触は、おもちゃのプラスチックとは明らかに違う。トリガーガードの内側に指を入れると、冷たい鉄の感触がした。 「重い……本物っぽいわ、これ」 「いや、おもちゃでしょ。こんなとこに本物が落ちてるわけないわ」 「そうよね、おもちゃよね。……だから警察なんかに届けなくても、いいわよね」 「ま、おもちゃだったらね」 「おもちゃだろうけど、もし本物だったら…」 里奈は拳銃を握りしめ、目を伏せた。彼女の脳裏に浮かんだのは、いつもの光景だ。顧客からの理不尽な要求、上司からの心ない叱責。毎日毎日、胃が痛くなるようなストレスと屈辱。 「使いたい相手がいる」里奈は絞り出すような声で言った。 「え?」麻美の目が見開かれる。 「もし本物だったら、この、どうしようもない状況を変えるチャンスよ」 「でも、里奈ちゃん、これが本物だとしたら、使ったら、犯罪者になるよ。捕まる。前科がつく」 「分かってる」里奈は冷静な声で言った。「だから、証拠が残らないように、しっかり考えないと。麻美ちゃんだって使いたい相手、いるでしょう?」 「え?」 「お互い助け合って、使いましょう」里奈が微笑んだ。「これ、宝くじが当たったようなものよ」 「宝くじって、これは使えば犯罪者よ」 「でも、使いたい相手、いるでしょう」 里奈の言葉に、麻美の喉が詰まった。頭では「いけない」と警鐘が鳴り響いているのに、抗いきれない怒りと無力感が、理性の隙間から滲み出してきた。目を閉じると、昨日の上司の嘲笑が蘇る。 「まあ、確かに、いるけど」 里奈はその言葉に満足げな微笑みを浮かべた。 「このままじゃ、何も変わらない。ずっとこのまま。一発撃って、変えよう」 里奈は冷たい凶器をバッグに隠し持った。二人の女は、重い秘密を共有しながら、夜の闇へと消えていった。本物かどうかは、まだ...

【1000文字小説】スライムだけならいくらでも

 ゴブリンのギョロリとした目玉、コボルトの鋭い牙、オークの威圧的な体躯。どれもこれもロンにとっては恐怖の対象。他の冒険者達が稼ぐ為ゴブリン狩りに出かける中、ロンが向かう場所はいつも決まっていた。通称「スライムの森」。そこにいるのは世界で最も弱い魔物、スライムだけ。プルプルとした青い塊は、攻撃してきてもせいぜい体当たり程度で、痛みもほとんどない。見た目も愛嬌がある。 スライムはせいぜい保湿剤の原料になる程度で、報酬は雀の涙だ。スライムは単価が安いので、冒険者は少しでも腕が上がると、効率よく稼げるゴブリンやコボルトの狩り場へと移動していく。その為、スライムを倒し続けた者というのは、この世界に存在しない。 だが、ロンは違った。彼は毎日、朝から晩までスライムを狩り続けた。何せスライム以外の魔物は怖くて倒せない。剣を振り下ろし、スライムが「ぽよん」と音を立てて消滅する。その繰り返し。他の冒険者からは「そんな事じゃ一流になれないぞ」と馬鹿にされたが、彼らの言葉に反論はしない。彼らが戦うような魔物と対峙する勇気が、彼にはなかったからだ。 スライムを倒すたびに経験値が入り、レベルは少しずつ上がっていく。しかし、上がるのはレベルだけで、彼の恐怖心は一向に消えなかった。 ロンは質素な暮らしを徹底していた。何せお金がない。町の外れにある、雨風をしのげるだけの崩れかけた小屋が住まい。食事は木の実や野草を中心に、たまに安いパンをかじる程度。着ている服は、何年も継ぎ接ぎだらけのボロ布。スライム報酬のわずかな金銭は、最低限の生活必需品と剣の手入れのために消えていく。雨でも風でも休めない。単価が安いので休めないのだ。 数年が過ぎた。相変わらずスライムを狩っていると頭の中に「レベル、カンスト」という声が響いた。何事だと思いギルドでレベルを確認した。映し出されたレベルを見て、ギルドの受付嬢は絶句した。ロンのレベルは、世界中の冒険者の中での最高値を示していたのだ。 彼のレベルの高さはすぐに町中に知れ渡り、彼は「いつか魔王を倒す英雄」として祭り上げられてしまった。人々からの期待の眼差しが、ロンに突き刺さる。彼は震える手で剣を握りしめ、冷や汗を流しながら呟いた。「……スライムなら、いくらでも倒せるんだけどな」 最高レベルになった事で、逃げ場がなくなってしまったロンは、今日も恐怖と戦いながら、スライム...