【1000文字小説】外のトラブルと内の散らかり
会社帰りの夜、川島真紀はアパートの階段を上りながら、廊下に漂う不穏な空気に気づいた。隣の部屋の前で、男女が言い争っている。
「だから、今日はバイト先に一緒に行く約束だろ」
低く押しつけるような男の声に、女の子は一歩引いた。
「そんな約束、してません」
嫌がる様子がはっきりしている。彼女は、挨拶を交わす程度の隣の住人、女子大生の理奈だった。
真紀は一瞬迷ったが、見て見ぬふりはできなかった。自分のことは面倒でも、目の前で困っている人を放っておくのは、もっと面倒だった。
「あれ?今日は宅飲みの約束だけど。彼氏?」
咄嗟に口から出た嘘に、自分でも驚く。
「彼氏なんかじゃありません!」
理奈は勢いよく否定した。男は真紀を睨みつける。
「なんだ、お前」
それほど体格がいい男ではないが、それでも男だ。暴れられたら負ける。空気が張りつめたが、男は舌打ちし、
「バイトが終わったら、また来るからな」
そう言い残して階段を下りていった。
「助かりました。でも、また来るって……」
理奈の声は震えている。
「じゃあ、うち来る?」
自分でもなぜそんなことを言ったのかわからなかった。
「え? いいんですか」
真紀は自分の部屋のドアを開ける。
その瞬間、理奈は目を見開いた。
床一面に散らばる服、読みかけの本、空のコンビニ弁当。足の踏み場もない。
「ど、泥棒が入ったんじゃないですか?警察に言った方が……」
「これ、普通。私の通常営業」
真紀は乾いた笑いを浮かべたが、内心では激しく後悔していた。
外のトラブルを避けるために開けたドアの向こうに、こんな内側の惨状を晒すことになるなんて。理奈は呆然と部屋を見回し、そして小さく笑った。
「……でも、さっきよりは安心しました」
真紀は、その言葉に少しだけ救われた気がした。