【1000文字小説】桜精度
春の空気には、微細な花粉と光の屈折が混ざっていた。
空中センサーは、花弁の浮遊速度、風の微小な変化、温度勾配まで記録している。
だが、藤原アヤはそんな計測装置の数値よりも、手元の端末の表示に目を凝らしていた。
大学の合格通知は、今日の午後に届く予定だった。
通知は電子的に暗号化され、個人識別の量子鍵を経由して送られる。
数値的には、合格確率は事前の成績と模試統計から0.73に推定されていた。
だが、確率が示す安心感は、彼女の心臓の鼓動には届かない。
桜の花びらが、微風に揺れる。
アヤは一枚を手のひらに受け止め、まだ少し冷たい春の空気と、ほのかな湿り気を指先に感じた。
花弁から立つ、甘くも青い匂いが、一瞬だけ意識を現在に引き戻す。
光の屈折が、まるでシミュレーションの軌道計算のように精密であることに、ふと心が落ち着く。
隣を歩く妹が言った。
「ねえ、もう通知来た?」
アヤは首を振った。
言葉を返す余裕もなく、確率の数字と桜の花びらが頭の中で交錯する。
端末に目を戻す。
時間はあとわずかだ。量子鍵が解読され、通知が届くのを待つ。
もし合格なら、すべての統計が裏付けられる。
もし不合格なら、計算された確率はひとつの誤差に過ぎなかったことになる。
桜が舞う。
花びらは、計算では完全には予測できない軌跡を描く。
アヤはふと、数字と現実の間にある微かなズレを見つめた。
――怖い、と思った。
それが、少しだけ、心を揺らした。
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