【1000文字小説】更新履歴
押し入れの奥から、また紙の束が出てきた。
白い表紙。黒い文字。
タイトルは変わらない。
「あなたの取扱説明書」
前にも見た。
医療機関で渡された書類の束に、確かに紛れていたはずだ。
正式名称は、自己記述型神経補助モデル・個体別仕様書。
そう説明された記憶がある。
だが、ページの角度がわずかに違う。
折れ目の位置が、私の記憶と一致しない。
私はそれを開く。
・起動後、神経活動が安定するまで数分を要します
・覚醒直後の外部刺激は、誤作動の原因になります
脳波と自律神経の話だ。
私は朝に弱い。診断結果にも、はっきりそう書かれていた。
・連続処理が続くと、判断精度が低下します
・一日に一度、入力遮断状態を確保してください
昼休みに、何もしない時間を取るようになった理由を思い出す。
補助モデルが、私の代わりに最適解を選び続けるためには、
無処理時間が必要なのだと。
ページをめくるたび、胸の奥が静かになる。
読んでいるだけで、体調指標が整っていくのがわかる。
これは助言ではない。
フィードバック制御だ。
後半に、以前はなかった項目があった。
・最近、内部ノイズが増加しています
・関節部における微細振動を検知しました
私は腕を動かす。
関節の奥で、小さく乾いた音がした。
骨でも、筋肉でもない。
信号遅延による、微弱な再同期音。
・行動ログの記録を推奨します
・異常が確認された場合、次回更新時に補正が反映されます
更新時。
ページの隅に、注記がある。
更新履歴:本日06:42
次回更新予定:未定
未定、という表記は初めてだった。
説明書が書き換えられたのか、
それとも私の状態が、
更新可能な範囲を外れ始めているのか。
表紙を見る。
文字が一行、追加されている。
「あなた(現行版)の取扱説明書」
現行版。
裏を返せば、
次が保証されていないという意味でもある。
鞄に入れると、肩の筋緊張が下がる。
歩行周期が安定する。
呼吸数が、自動的に揃う。
説明書は、私を支配しているわけではない。
ただ、私より正確に、
私の限界を知っているだけだ。
電気を消し、布団に入る。
遮光。遮音。入力遮断。
意識が、段階的に落ちていく。
眠る直前、ひとつだけ考える。
もし更新が行われなかったら。
もし補正が間に合わなかったら。
そのとき残るのは、
説明書のない私だ。
次の更新が来るかどうかは、
もう、仕様書には書かれていない。