【1000文字小説】熱量不足
会社は小さく、五月の光だけが無駄に明るかった。
窓際のデスクに座る里山真理は、総務兼経理として五年働いている。請求書の入力、振込データの作成、備品管理、勤怠表の確認。月末には支払一覧をまとめ、月初には数字を締める。間違いがないことだけが価値になる仕事だ。
その春、新入社員が入った。真理は初めて教育係を任された。新人は総務配属で、真理の隣の席に座っている。
新人の仕事は地味だった。取引先ごとに請求書を仕分けし、日付と金額を確認して会計ソフトに入力する。コピー用紙やトナーの在庫を表で管理し、減れば発注メールを作る。勤怠システムから打刻データを出力し、残業時間を一覧にする。覚えれば単調で、考える余地の少ない作業だ。
新人は、それを淡々とこなした。ミスは少ない。確認もする。だが、そこから先がない。仕事が終われば手を止め、定時まで画面を眺める。カーソルが点滅するだけのエクセルの表を、意味もなくスクロールしていることもあった。「次は何をすればいいですか」とは聞かない。真理が忙しそうでも、自分の担当外には踏み込まない。
五月になり、連休明けの空気が社内に残っていた。窓の外では若葉が揺れ、昼休みには近くの公園から子どもの声が聞こえる。その明るさが、社内の静けさを強調していた。デスクの上では、紙の請求書がきれいに揃えられ、角が少しだけ指に当たる。
真理はイライラしていた。でも、その感情の行き場がない。新人は役に立っている。仕事は回っている。注意する理由がない。ただ、期待だけが空振りしている。
ある午後、新人が画面を見たまま、ぽつりと言った。
「この勤怠の一覧って、誰が見てるんですか?」
真理は一瞬、言葉に詰まった。
「上長と、たまに税理士さん」
そう答えながら、自分でも納得していないと分かった。
「そうなんですね」
新人はそれ以上何も言わず、画面に戻った。
その背中を見たとき、真理の中に、はっきりした言葉が浮かんだ。
――最初から、何も期待してない顔。
――楽でいいよね。失望しなくて済むんだから。
自分でも嫌になるほど、正確な悪意だった。
五年分の時間を、あっさり省略された気がした。
振込データを確認する。数字は合っている。
合っていることが、腹立たしかった。
コピー機の音が鳴る。新人が作った勤怠一覧を受け取る。
修正は不要だった。
「ありがとうございました」
新人はそう言って席に戻る。
真理は、その表をファイルに綴じる。
去年と同じ背表紙、同じ位置。
どこにも引っかからず、きれいに収まる。
窓の外の緑は、変わらず揺れている。
五月は進む。
真理は、さっき浮かんだ言葉を取り消さないまま、次の請求書を手に取った。
訂正する必要はなかった。
正確に処理されれば、それで十分だった。