【1000文字小説】働く白紙
入社して三ヶ月。名刺入れの角だけが擦り切れ、名前を呼ばれるより先に雑用が飛んでくる。朝の電車では吊り革を掴みながら、今日は誰が一番先に壊れるかを無意識に考えている自分に気づき、気づいたこと自体が嫌になる。
忙しい会社だ、と皆が言う。忙しさは価値で、遅くまで残るほど正しい。新入社員の僕は会議室の端で議事録を打ち、上司の声を文字に変換する。アイデアを出せと言われ、出すと「浅い」「学生っぽい」と言われる。じゃあ何が正解なのかと聞きたくなるが、聞いた瞬間に評価が下がる気がして黙る。
正直に言えば、同期の中で自分が一番できない気がしている。笑顔で要領よく振る舞うあいつらを、心のどこかで見下しながら、同時に羨んでいる。向いてないのは自分だ、と考える一方で、こんな会社に向いている人間なんて信用できない、とも思う。矛盾が頭の中で絡まって、ほどけない。
三ヶ月目に入ってから、体が嘘をつかなくなった。朝、歯ブラシを口に入れると吐き気がする。通知音が鳴るたびに心臓が跳ねる。休日は寝て終わる。何もしなかったことを、誰にも責められていないのに、強く恥じている。
ある夜、上司に言われた。「君の案さ、悪くはないんだけど、今ここで出す意味ある?」意味。意味がないから、ここにいるのかもしれない。笑って頷いた自分の顔が、後から思い出せない。
辞めようかと考える。でも辞めた先を想像すると、白紙しか浮かばない。白紙は自由だと教わったが、今はただ寒い。ここにいれば予定は埋まる。削られる代わりに、考えなくて済む。
終電を逃した夜、タクシーの窓に映る自分は、まだ頑張っている人間の顔をしていた。それが一番、信用できなかった。
続くか、折れるか。その前に、何かが少しずつ死んでいる気がしているが、確かめる余裕はない。