【1000文字小説】計算外の葉脈
博士課程の研究者、秋山リナは、透明ドームに覆われた宇宙ステーションの植物実験室で、人工光合成用ナノ葉を見つめていた。閉鎖環境で植物を育てることは単なる研究ではなく、生命維持の必須条件だった。水量は1リットル単位で±0.01、二酸化炭素濃度は400 ppm ±0.1%、微小重力は0.01 g ±0.001 g、放射線量は0.05 mSv/h以下に管理される。これらの条件が完璧に維持されなければ、光合成は成立しない。
リナは端末を操作し、葉脈ナノチューブに光を照射した。光源は450 nmと660 nmのLEDで、光強度は500 µmol/m²/s ±0.5%、照射周期は16時間/8時間で厳密に制御される。理論上は完璧なはずだった。しかし、生命は常に予測を超える柔軟性を持つ。
「昨日より成長が遅い…」小さな声が漏れた。温度22.5 ℃ ±0.1、湿度60% ±0.2%、CO₂濃度も規定値内。原因は葉の微細な欠陥か、光合成効率のわずかな揺らぎか。リナはマイクロカメラで細胞の動きを観察し、蒸散量0.02 µmol/sの変化や葉傾き0.5°を測定した。
今日は、ある決断を迫られていた。光周期を理論値どおりに維持するか、±1%の微調整を加えて葉を「学習」させるか。予測外の刺激を与えることで成長効率が上がる可能性があるが、失敗すればシステム全体が不安定になる。リナは手を止め、計算機上のシミュレーションを3回走らせた。
窓の外の宇宙は静かだが、時間の感覚は微妙に歪んでいた。観測時計ではわずか数分しか経過していないが、リナの集中と呼吸の制御によって、数十分の心理的緊張を感じている。光の揺らぎに目を凝らす数秒が、宇宙ステーション全体の未来を左右するかのように重くのしかかる。
思い出すのは、故郷の森で母が教えてくれたこと。「植物はただ待つだけじゃなく、光を見て決めるのよ」。母は天文学者で、宇宙の計算に人生を捧げていた。地球環境を守るために宇宙ステーションで植物を育てる――それは、母の夢を受け継ぐ使命でもあった。
リナは深呼吸して決断した。光周期を±0.8%だけ変化させ、ナノ葉脈に未知の刺激を与える。手元のデータは不確実性を増すが、植物の生存確率も0.5%向上する可能性がある。数値と生命の境界で揺れながら、彼女は慎重に操作を続けた。
数時間後、葉の光合成速度は理論値の98.7%から99.2%へ微増した。生命は計算を超え、予測を押し広げた。科学は限界を示すが、植物は境界を拡張する。リナは窓の外の青い地球を見つめ、微笑んだ。この小さな成功は、遠隔火星基地での閉鎖環境農業や、深宇宙探査船の生命維持にも応用される可能性がある。
孤独な宇宙空間で、人間と植物の間に交わされる沈黙の会話は続く。葉は光に傾き、微細に揺れる。リナは今日も未知の成長を見守りながら、計算と孤独の間で微妙な均衡を保つ。生命を信じるとは、数字を信じるだけではなく、未知を受け入れることなのだ。そして彼女は、未来の宇宙環境で人類の希望を育む光を見つめていた。