【1000文字小説】計算外の光
宇宙都市アルゴンの外縁区画で、光が滞留した。
本来、光は滞らない。反射し、吸収され、散乱され、最終的には消費される。だが観測ログには、照明制御を停止した後も、微弱な光子密度が空間内に残留しているという数値が記録されていた。
光工学主任の坂本ユイは、観測区画の制御室でそのデータを見つめていた。
外縁区画は、エネルギー効率実験のために設計された多層反射構造を持つ。壁面はメタマテリアルで覆われ、特定波長の光を選択的に反射・減衰させるはずだった。理論上、残光時間は最大でも0.8ミリ秒。それを超えることはない。
「消灯から、三秒経過しています」
補助AIの報告は淡々としている。
数値は嘘をつかない。問題は、数値が理論を裏切っていることだった。
ユイは波長分布を拡大表示する。可視域の端、ほとんどノイズに埋もれた領域で、光子が再配置されている。完全なランダムではない。反射、干渉、位相ずれが、わずかな規則性を伴って循環していた。
「構造共振……それとも、閉じ込め?」
彼女は小さく呟き、シミュレーションを走らせる。だが計算は追いつかない。モデルは光の消散を前提にしており、「残る光」を仮定していないのだ。
この状態を放置すれば、壁材の局所的加熱、センサーの基準誤差、長期的な材料劣化が起こりうる。安全プロトコルは、即時の光子吸収処理を推奨していた。
ユイの指は、実行キーの上で止まった。
区画の窓越しに、薄い光が見える。明るさは照明未満だが、闇でもない。境界のような輝きだった。
それは照らすための光ではなく、存在しているだけの光だった。
彼女は幼い頃、母に連れられて行った古い天文台を思い出す。消灯後、しばらくの間だけ残る、ドーム内の薄明。母は言った。「光は消えるんじゃない。環境がそれを許さなくなるだけよ」
ユイは決断した。吸収処理を遅らせ、観測を続行する。
反射率を微調整し、エネルギー流束を安全域に保ちながら、光子の分布変化を記録する。残光はゆっくりと形を変え、渦のような構造を描いた。光は留まろうとしているのではない。ただ、この構造の中で最も減衰しにくい配置を選び続けているだけだった。
それは「異常」ではなく、理論がまだ記述していない状態だった。
数分後、光は静かに消えた。
何事もなかったかのように、区画は闇に戻る。だが、ログには確かに残っている。三分十二秒間、光はそこにあった。
ユイは保存されたデータにタグを付ける。
《非定常光子滞留現象/計算外》
制御室を出る前、彼女はもう一度、暗い区画を振り返った。
光は消えた。しかし、消え方は計算通りではなかった。
理論は世界を説明する。
だが、世界は必ずしも理論の速度で消えてはくれない。