【1000文字小説】月の設計者

 夜空を見上げると、月はいつもと変わらず白く光り、海面に淡い反射を落としていた。

研究室の望遠鏡越しにその表面を拡大しながら、小野寺絵里子は、説明しづらい違和感を覚えていた。

月の起源についての議論は、すでに一世紀以上続いている。巨大衝突説、捕獲説、共形成説。どれも一定の説明力を持ち、どれも完全ではない。彼女自身、そのどれかを覆すつもりで観測を始めたわけではなかった。

日中は自宅のベランダで猫に餌をやり、満員電車で研究所に向かう。研究室ではコーヒーを淹れ、同僚と他愛のない会話を交わす。そんな生活の延長線上に、今夜の観測もある。

だからこそ、理論値との差にわずかに気づいた。

月の質量分布と地球との軌道共鳴。

最新の観測データでは、その安定性が観測誤差を少し超える差を示していた。別の観測系でも同様のズレが繰り返し現れていた。

レーザー測量による月面地形の三次元データも同様だった。

クレーターの深度と分布はランダムに見えるが、統計処理をかけると、特定の周期性が浮かび上がる。解析条件を変えても、その傾向は完全には消えない。

「測定系のバイアスか……」

彼女は独り言のように呟き、解析ログを遡る。装置の校正履歴、観測角度、データ欠損。どれも決定的な原因にはならなかった。

もし月が何らかの意図で現在の軌道を保たされているとしたら。

その仮定は、自然形成モデルの外側に位置する。だが同時に、現時点では検証不能でもあった。

彼女はシミュレーションを走らせる。

「設計」を前提にしたモデルと、「偶然」を最大限に許容したモデル。結果は、どちらも観測値に近づくが、わずかな差が残る。

画面のグラフを見つめながら、彼女は結論をメモしなかった。

代わりに、こう書き添える。

――既存モデルでは説明が不十分な点が残る。

――追加観測と、別系統の解析が必要。

研究室の外では、東京の夜が静かに続いている。

彼女は望遠鏡から目を離し、窓越しに実際の月を見上げた。そこには、何の主張もない、ただの天体が浮かんでいる。

もし月が誰かの意図によって配置されたものだとしても、それを証明する手段は、今の人類にはない。

彼女は端末を閉じ、観測ログを保存する。

観測日:20XX年X月X日

異常値は複数回の観測で確認されたが、解釈は保留

月は何も語らない。

ただ、これまでと同じ周期で、地球の周りを回り続けている。


<1000文字小説目次>

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