【1000文字小説】計測される未知

 二十七歳の楠原ミアは、無重力実験室の中央に立ち、手元の触覚増幅デバイスを慎重に調整していた。指先に届く微細な振動は、ほぼ即時で脳内に再構築される。皮膚では感じられない情報が、触覚として知覚できるよう設計されていた。

今日の実験は、前回の微細パルスの見逃しによる一週間の遅延を取り戻すためのものだった。前回は0.001ニュートンの微細振動を誤認し、合成生体応答モデルの出力が±0.5%ずれ、応答タイミングに誤差が生じた。その悔しさは胸の奥に残り、指先の緊張を増幅させる。「もう同じ過ちは繰り返せない」とミアは自分に言い聞かせた。

指先に届く振動を確認する。強度0.002ニュートン、周波数180Hz、温度勾配0.05℃。計測誤差内で理論値に近いが、感覚は人工的で、現実との距離を伴う。胸の奥に、未知への期待と微かな恐怖が同時に広がる。今日の条件は揃っており、前回の遅れを取り戻すための絶好のタイミングだった。

そして、突如、予測不能な微細パルスが届いた。

 振動0.0008ニュートン。

 周波数132Hz。

既存のセンサーでは完全に再現できない。

 それでも、脳に届く感覚は温かい。脈打つ。

 心拍が速くなり、胸が微かに震える。

ミアは理解した。

 これは「未知」——計算の外に存在する何かだった。

未知は単なる数値ではない。力学的刺激と生体反応の微妙な同期現象であり、個々の脳波や指先の微差によって理論値とわずかに異なる反応を示す。脳はそれを触覚として再構築するが、その過程で主観的な補正が混入する可能性は否定できない。身体全体がわずかに応答し、理論上の範囲を超えた共鳴が生まれることもあるが、それが現象そのものなのか、観測者の状態に依存した結果なのかは判別が難しかった。偶然とも、探究心が感覚の解釈に影響を与えた結果とも考えられる、生命的なリズムの兆しであった。

窓の外、南区では瞬間的な停電が発生し、数キロ先で街灯が消えた。市民の悲鳴や携帯端末のアラートが遠くに届く。ミアの実験データは直接制御に用いられてはいないが、解析手法の応用により、都市エネルギー制御モデルの改善に寄与する可能性は指摘されている。今回の微細パルスと停電の同時性についても、統計的な相関があるかどうかは未確認であり、現時点では仮説の域を出ない。科学は冷徹であり、彼女の指先の微振動もまた、都市の一部と無関係である可能性を常に含んでいた。

ゴーグルを外す。都市の灯りは揺れ、遠くの山並みは静かだ。しかし指先の微細な振動はまだ残る。それが未知そのものなのか、再現性を欠いた一回限りの知覚なのか、結論は出ていない。ミアは息を整え、胸の奥に広がる微細な震えを感じながら、夜の研究室を後にした。わずかに熱を宿す感覚は、孤独な探究の末に得られた確かな事実であると同時に、次の実験で否定されうる仮の報酬でもあった。


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