【1000文字小説】自律通信冗長化試験
今年も帰省はできなかった。
私は通信工学研究員の水森千晶。日本時間一月一日、研究施設は通常運転で、カレンダーだけが正月を主張している。
原因は明確だった。実験が止められない。深宇宙探査機向けの自律通信プロトコルは、地球と火星の距離が最大化し始めるこの時期でなければ検証できない。往復通信遅延は二十分を超え、人間の判断は現実的な選択肢から外れる。
私たちが設計しているのは、遅延耐性ネットワークを前提とした通信制御だ。探査機は複数の通信経路を同時に維持し、エラー率と遅延履歴から優先度を自律的に更新する。さらに、重要データはパリティ付き複数パケットに分割され、経路ごとの伝送条件に応じて送信経路が動的に決定される。受信側では、欠損パケットを再構築アルゴリズムで統合し、部分的に遅延したデータも時刻順に並べ直される。各パケットには時刻スタンプ、信頼度スコア、優先度タグが付与され、経路選択、再送、統合のすべてに利用される。複数経路で届いた冗長パケットは相互検証され、整合性が保証される。届いたものだけが正解になる。
端末には、実家からのメッセージが残っていた。
「今年も無理そうね。お雑煮は送れないけど」
それを読んで、胸の奥がわずかに痛んだ。子どもの頃、母と一緒に作った雑煮の香りが脳裏をかすめる。帰省できないこと自体より、毎年同じやり取りを繰り返している事実の方が、静かに効いてくる。私は理由が明確であれば、帰れないことには耐えられる。それでも、繰り返されるたびに少しだけ寂しい。体が軽く震えるのを感じ、手元の端末を握り直す。
正月らしい行為として、私は実験ログに日付を明記する。
二〇一六年一月一日。通信遅延最大値、想定内。
パケット欠損率、低下。再送要求、ゼロ。ログには、各経路ごとの遅延分布、パケット再構築回数、信頼度スコア、優先度変動履歴も記録される。スクロールしながら、システムが予測通りに動作していることを確認した。肩の力を抜き、深呼吸して心を落ち着ける。
探査機は自律的に通信経路を再構成し続けていた。地球側からの指示は遅れ、時には届かない。それでもシステムは破綻しない。つながることを、機械が自分で判断している。ループ状の冗長経路、パケット再構築、優先度再評価——すべてが並列に進行している。
もしこの仕組みが完成すれば、探査機は孤独にならない。人間が逐一指示を出さなくても、遠く離れた場所で自律的に判断し、情報を持ち帰る。人間は、必ずしも常につながっていなくていい。
研究棟の窓から、初日の出が差し込む。地上より遅れて届く朝日は、どこか間接的で、それでも確かに新しい光だった。
端末を閉じ、実家宛に短い返信を送る。
「今年も帰れないけど、遠いところとはちゃんとつながっています」
帰省はできなかった。
けれど、新しい一年は、冗長化パケットも遅延も抱えたまま、確実に届いていた。