【1000文字小説】午前二時の静かな悲鳴

 「もう限界」―心の中でそう呟きながらも、聡美はパソコンの画面を見つめ続けていた。大手食品メーカーの営業事務として働く三十一歳。会社は都内の一等地にオフィスを構えているが、きらびやかなイメージとは裏腹に、社内は常にピリピリとした空気に包まれていた。

今日のタスクは、月末締めの売上データのクロスチェック。細かな数字の羅列が目をチカチカさせる。一つでも間違えれば、営業担当からきつい言葉が飛んでくる。「嫌なことをしてるから、給料がもらえるんだ」。これは、入社時に先輩が教えてくれた言葉で、聡美の座右の銘でもあった。みんな一緒。我慢して、嫌なことに耐えて働いている。自分だけが辛いわけじゃない。

午前二時。カチカチとキーボードを叩く音だけが、静まり返ったオフィスに響く。残業は当たり前。終電を逃すことも日常茶飯事だ。家に帰っても、コンビニで買った弁当をかきこみ、シャワーを浴びて寝るだけ。自分の為の時間なんて、もう何年も持っていない。肌荒れはひどくなり、目の下のクマは消えることがない。鏡を見るたび、そこに映る疲れ切った自分の顔にぎょっとする。

それでも、聡美は我慢した。与えられた仕事は完璧にこなした。取引先からの無理な要求にも、営業担当の理不尽な怒りにも、笑顔で応えた。それは、優秀な社員であろうとする意地と、ほんの少しのプライドがあったからかもしれない。

「高元さん、このデータ、明日朝一で修正できる?」

背後から声がして振り返ると、そこには鬼のような形相をした課長の顔があった。もうすでに今日の業務は終わるはずだったのに、更なる仕事を押し付けられる。

「はい、承知いたしました」

条件反射で返事をする。断るという選択肢は、聡美の辞書にはなかった。課長が去った後、大きくため息をつく。体は鉛のように重く、頭痛がひどい。視界がぼやけているような気もする。

「もう少し、頑張れば……」

自分に言い聞かせ、再びパソコンに向き直る。しかし、指先がキーボードの上で止まった。ふと、遠い昔に読んだ絵本の一節が頭をよぎる。「本当に大切なものは、目には見えない」今の聡美にとって、本当に大切なものは何だろう。健康? 自分の時間? それとも、ただ誰かに認められたいという承認欲求?

ディスプレイに映る数字の羅列が、突然無意味な記号に見えた。このままでは、自分が自分自身でなくなってしまう。ここから、離れなければ。そう直感的に悟った聡美は、意を決して立ち上がった。

その瞬間、視界が真っ暗になった。頭の中でキーンという耳鳴りが響き、足元がぐらりと揺れる。冷たいオフィスの床が、急速に顔に近づいてくるのが見えた。聡美の意識は、そこで途切れた。(文字数:1097)


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