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2019/03/15

【1000文字小説】ビデオの時間

 由美子がビデオの再生ボタンを押すと画面に映し出されたのはジャイアンツ対スワローズの試合だった。松井がセカンドゴロを打ってアウトになっている。由美子は慌てて新聞のテレビ欄を確かめた。最大延長9:54まで 以降の番組は繰り下げなどと書かれている。テープを早送りしてみたが最後までプロ野球中継で、由美子の見たかったドラマ『ラブ アゲイン』は遂に始まらなかった。
 翌日由美子は会社で同僚の琴美に『ラブ アゲイン』を録画していないか訊ねてみた。
「昨日は野球で遅れたから10時からだったもんね。ビデオの予約失敗したんだ。かわいそー。あ、悪いけど録画はしてないわ」琴美は明るい声で言った。
 昼休み由美子が食事を終えて席に戻ると同僚の野田勇介が話しかけてきた。
「あのう、僕昨日の『ラブ アゲイン』録画してますよ」
 午前中の琴美との会話を聞いていたようだ。勇介はどうやら由美子に気があるらしい。それは日頃の勇介の態度を見ていれば気がつく。じっと見つめられていることはしょっちゅうだし、話しかけると(仕事のことしか話さないがそれでも)アルコールが入ったように顔を真っ赤にするし、文通してください(!)という手紙を受け取ったこともある。しかしデートに誘われたりプレゼントを送られたりするということはなかった。そこまで踏み込めないのである。踏み込んでこられなくて幸いだと由美子は思っている。身長168センチで体重95キロ、脂性でアニメオタクの勇介は由美子の好みからは大きく外れていたからだ。
「じゃ、僕明日持ってきます」勇介は勝手に決めて明日が遠足の小学生のように喜んでいる。由美子は人の話を勝手に聞いて勝手に決めるなと不愉快だったが、『ラブ アゲイン』が見られるからまあいいやとも思った。僕の部屋に来て一緒に見ましょうとかビデオを持って由美子さんの部屋へ行きますとか言えないのが勇介なのだ。
 由美子は翌日勇介からビデオを受け取った。レンタルビデオ店で使うようなケースに入っていて、ワープロで印字されたラベルも貼ってある。
 アパートに帰ってからビデオを見た。
 由美子は飲んでいたビールを吹き出した。画面に勇介が映し出されたのだ。勇介は、僕の趣味は読書です好きな作家は…とか、僕の生まれは埼玉です12歳までここで過ごしました…とか話している。『ラブ アゲイン』が始まるまで早送りにした。勇介が映っていたのは1時間に及んだ。

(1998/09/04/勝ち抜き小説合戦応募 文字数:999)



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