【1000文字小説】上戸彩、寿司に堕ちる
ゼノは映像を冷ややかに見つめていた。地球人らは、動植物の死骸をせっせと口に運び、満面の笑みを浮かべたり、目を閉じたりしている。ゼノ達にとって、食事とは純粋な栄養補給に過ぎず、カプセル一つで一日に必要なエネルギーを摂取できるのだ。
ゼノは一人の女性に擬態する。透明感に満ちた肌、柔らかそうな髪、少し微笑んだだけで周囲を明るくするような女性。その姿での調査はここだ。入り口には様々な地球人が並んでいる。中では皿に乗った食べ物がベルトコンベアに乗ってぐるぐると回っている。店員は活気に満ちた声で客を席へと案内し、家族連れは楽しそうに皿を選んでいる。
「上戸彩だ!」「え、マジ?撮影?」
ゼノは、周囲のざわめきに気づいていた。それらもまた情報収集の一環だ。流れる皿から手始めに赤い身の乗った皿を取る。赤い身をスキャンすると、ゼノの網膜に解析情報が流れ込んできた。ゼノは眉をひそめた。原始的な捕食行動。衛生的な観点から言っても、極めてリスクが高い。だが、調査の為だ。赤い身を口に運ぶ。すると、脳に直接働きかけるような強烈な刺激が走った。口の中に広がる、初めて知る感覚。シャリと呼ばれる米粒の甘みと、新鮮な魚介の香りが、渾然一体となって襲いかかってくる。擬態された顔が、意図せず、大きく目を見開く。口元は制御を失い、ほんの少し開いたままになる。そして、ゆっくりと、しかし確実に、目尻が下がっていく。頬は上気し、全身の細胞が歓喜しているような、わけのわからない感覚に襲われた。
「な、なんだ、これは!」
周囲の客は、そのオーバーな反応を、バラエティ番組の撮影だと勘違いした。
「さすが、リアクションが違うわ」「めっちゃ美味しそう!」
ゼノは、次の皿、また次の皿と、無我夢中で手を伸ばした。白身、サーモン、エビ…。どれもこれも、カプセルでは決して味わえない、未知の感動に満ちていた。
上戸彩の前には皿が八十枚積み重なっていた。「かなり大食い…」と引いている周囲。ゼノはまるで夢から覚めたかのように呆然となっていた。先ほどまで原始的だと評価していた地球人と同じように、食事という「無駄な行為」に熱中し、陶酔したのだ。この感情は果たして欠陥なのか?仲間には何と報告すれば?
ラーメン、焼肉、ハンバーガー、たこ焼き…。謎の食べ物の数々が、ゼノの脳裏をよぎる。食事という行為の本質を探るのだ。後続部隊が到着する百年後まで、食の冒険の始まりだ。(文字数:1000)


 
 
 
