【1000文字小説】白線の外側

 試験会場の床には、白いテープで線が引かれていた。国家資格試験の会場として使われるこの公共施設では、毎年同じように線が敷かれる。受験者はその内側に座り、荷物は外に置く。それ以上の説明はなかった。

真理子は線の内側に椅子を寄せ、外に置いた鞄を一度だけ見た。鞄の中には、何度も書き直した志望動機の紙だけが入っていた。提出するわけではないが、その紙を思い浮かべると、胸の奥がわずかに落ち着く。しかしすぐに、これまでの失敗の記憶がざわめき、胸の奥に小さな波が立つ。呼吸が少しだけ速まる。

この試験を迎えるのは三回目だった。一回目は準備不足、二回目は本番で体調を崩した。理由はどちらも正しいが、結果は同じだった。合格者一覧に名前はなく、掲示板から見上げたときの首の角度まで、今も胸に残る。あの虚しさが、わずかに震える感覚となって体に残っていた。

開始五分前。会場が静まり返る。誰かが椅子を引く音が、やけに大きく響いた。真理子は鉛筆を握り直し、指先にわずかな汗を感じた。胸の奥の重みが一瞬大きく膨らみ、息が詰まりそうになる。小さく手を震わせ、緊張の波が指先まで広がるのを感じた。

開始の合図。問題用紙をめくる音が一斉に立つ。最初の設問は、見覚えのある形式だった。過去問と似ている。その事実に、わずかに安堵の息が漏れる。しかし次の瞬間、胸の奥に再び緊張の波が押し寄せる。心拍が跳ね、手の震えが増す。「やりきれるか」という不安が頭の中でうずき、鉛筆に力が入りすぎて痛みを感じるほどだった。

中盤、消しゴムが手元から滑り、白線の外に落ちた。視線が自然とそちらに引かれる。手を伸ばせば届く距離だが、指は内側にとどまったまま動かない。目だけで確認する。外にあるものには、今の自分は触れられない。胸の奥で、緊張と理性がせめぎ合う。触れたい、でも触れてはいけない──その小さな葛藤が、指先に重くのしかかった。わずかに呼吸が乱れ、心拍が再び上がる。

深く息を吸い、ゆっくり吐く。視線を戻すと、少しずつ心拍が落ち着いていく。問題に集中する感覚が戻り、鉛筆を握る手も安定した。時間は静かに進み、問題用紙の端が汗で少し波打つ。最後の設問を書き終えたとき、真理子はようやく肩の力を抜いた。緊張の波がゆっくり引き、手の震えも完全に消えた。

終了の合図。鉛筆を置き、立ち上がる。白線の外に出て、落ちた消しゴムを拾い上げる。胸の奥の重さはまだ少し残っているが、今ここで触れた事実が、小さくても確かな現実の支えとなっていた。

会場を出ると、空は高く、雲がゆっくり流れていた。結果は分からない。それでも、線の内側でやるべきことは、すべてやった。胸の奥の緊張が徐々に静まり、歩く足取りはわずかに軽く感じられた。


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