【1000文字小説】夜の踏切

 夜道を自転車で走っていると、踏切の赤いランプがちらちらと揺れていた。仕事帰りで肩と首が重く、無意識に速度を落としていたせいか、視界の端でその赤が妙に目につく。電車は来そうにないのに、遮断機だけが下りている。昼間の喧騒から抜け出し、誰もいない夜道に入ると、呼吸が少し落ち着く。だが、今日は何かが違う——そんな気配を感じながら、自転車のペダルをゆっくり止めた。

無理に踏切を潜る気にはならない。遠くに電車の光はなく、遮断機が風に押されて、一定でない金属音を立てている。その音が、踏切脇の標識やアスファルトに跳ね返り、夜の静けさを余計に際立たせていた。冷たい夜気が肌に触れ、体が自然に硬くなる。孤独な夜の空気が、胸の奥で小さくざわつく。

隣の草むらで影が動いた。小さな猫だった。濡れた毛皮が赤いランプの光に反射し、まるで踏切の光を借りたように輝いている。私は息をひそめて見守る。猫が自転車の前をすり抜けると、胸の奥のざわめきも、少しだけ溶けたように消えた。

踏切の警報が止まり、赤いランプも消えた。ペダルを漕ぎ出すと、夜風が頬を撫で、背筋がゆるむ。思わず肩の力を抜く。予想外の出来事を、ただ静かに受け止める——そんな小さな安堵感が胸に広がる。

夜の静けさと踏切の影、猫の動きだけがまだ目に焼き付いている。自宅に着き、玄関に自転車を置く。荷物を下ろす手が、少しだけ軽く感じられた。

机の上の小さなノートを開き、一行だけ書き留めた。

「踏切の猫、影のように走る」

明日、忙しい日常に戻っても、この一行が心を少し落ち着けてくれるだろう。他の人にとっては何でもないことかもしれない。でも、私にとっては、この夜だけの特別な記憶だった。


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