【1000文字小説】三年間
入学式の朝、校門の前で深く息を吸った。
人混みが苦手なのは中学から変わっていない。でも、同じように三年間を終えるのだけは嫌だった。
陸上部に入ったのは、理由を聞かれたら困るような、小さな賭けだった。走るのは得意でも好きでもなかった。ただ、走っているときだけは「どれだけ速くても遅くても、一人分のレーンは用意されている」という感覚があった。
五月の終わり、たまたま自己ベストを大きく更新した日があった。
ゴール後、息が整わないまま顔を上げると、先輩が本気で驚いた顔をしていた。「今の、本物だぞ。大会に出れるぞ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱く跳ねた。誰にも見つけてもらえないと思っていた三年間に、急に光が差し込んだようだった。
でも、その日が一番速かった。翌週には記録が元通りに戻り、先輩の声も、光も、あっさり遠ざかっていった。
結局、理由を告げる勇気もなく、そっと帰宅部になった。誰にも見つけられないまま、ひっそりとレーンの外に戻っただけだった。
クラスでも輪に入り損ねることが続いた。机を少しずらして、自然に混ざれそうな話題を探すけれど、誰かが席を立つたびに椅子の脚が床を擦る音が大きく響き、急にそこにいることが場違いに思えた。机を元に戻す動きだけが、妙に手慣れていった。
気になっていた女子がいた。
彼女は授業中、わからない問題に眉を寄せる癖があって、その顔を見ると声をかけたい衝動に駆られた。けれど、あと一歩が出ない。タイミングを測っているうちに、いつも誰かが先に名前を呼んでいった。
三年間。
何かが始まりそうで、始まらなかった。期待するたび、自分で引っ込んで、何も変わらなかった。
卒業式の日、証書を受け取った瞬間、胸の底に沈んでいた重さが「形」を持った。ずっと引きずってきた、あの一歩の小ささだ。
体育館の外ではクラスメイトが写真を撮り合っていた。俺はその輪の横を静かに歩き抜けた。もう混ざろうとも思わなかった。
校舎を出る前、三年間を振り返る。
誰かに気づいてほしいのに、自分から差し出した手は一本もなかった。そんな自分の癖を、高校生活は容赦なく突きつけてきた。
校門を出ると、風が吹き抜けた。
“期待しなければ傷つかない”という言い訳は、気づけば心の奥に根を張っていた。
ふと地面を見ると、伸びた自分の影が揺れていた。
影の輪郭は細く頼りない。それでも、その線は三年前より確かに長くなっている気がした。もしかしたら、前に進もうとして立ち止まった回数だけ、影だけは少しずつ伸び続けていたのかもしれない。
その影と並んで歩きながら、小さく息を吐いた。
――まあ、こんなものか。でも、こんなものからしか始められないのかもしれない。