【1000文字小説】ミドリちゃん
高校の教室は、午後の日差しで僅かに蒸していた。古びた扇風機が虚しく首を振る中、東雲茜は窓際の席で微動だにせず、ただ数学の教科書を見つめていた。彼女の着ているくすんだ緑色のカーディガンは、この学校の指定色ではない。一目で「浮いている」とわかるその姿は、周囲の生徒たちにとって、もはや日常風景の一部となっていた。誰も茜に話しかけず、茜もまた誰に話しかけることもない。
「ねえ」
その沈黙を破ったのは、隣のクラスの日向珠莉だった。珠莉は明るい茶髪を揺らし、茜の机の前に立った。茜は表情一つ変えず、視線だけを珠莉に向けた。
「あのさ、図書委員って今日集まりあったっけ?」
珠莉の質問は、明らかに不自然だった。図書委員の集まりは昨日だったはずだ。茜は無言で首を横に振る。
「そっか、昨日かぁ。私うっかりしててさ。ありがと」
珠莉はそう言って笑ったが、その場を立ち去ろうとはしなかった。
「いつもその色の服着てるよね。好きなん?」
茜は再び首を横に振った。好きではない。むしろ嫌いだ。物心ついた時から、母親の「ラッキーカラー」という妄信的な理由で、緑色以外の服を着ることを許されなかった。小学校のあだ名は「ミドリちゃん」。中学校では緑のジャージーを強制され、事なかれ主義の教師たちに黙認された。その結果、誰も彼女に関わろうとしなくなり、彼女自身も外見や他人に興味を失った。
「そっか。じゃあ、特に理由はないって感じ?」
茜は小さく頷く。
「ふーん。まあ、どうでもいいか」珠莉はあっさりと言った。「私もさ、この前のテスト、数学が全然ダメで。東雲さん、いつも真面目にノート取ってるじゃん? もしよかったら、今度見せてもらえないかな。放課後とか」
茜は初めて、僅かに目を見開いた。彼女に向けられた言葉は、彼女の「外見」や「浮いた格好」に関するものではなく、ごく普通の、日常的な「お願い」だった。友達がいない生活の中で、そんな言葉をかけられたのは初めてだった。しかし、長年の無感情はすぐには消えない。茜は表情を硬くしたまま、無言で頷いた。
「やった! ありがとう! じゃあまた放課後ね」
珠莉は満足そうに笑い、自分の教室へ戻っていった。
茜は再び教科書に視線を戻した。心臓がわずかに、奇妙なリズムで鼓動しているような気がしたが、それが「感動」や「喜び」であるのか、彼女自身には分からなかった。ただ、いつもより少しだけ、午後の日差しが明るく感じられた。(文字数:1000)