【1000文字小説】消えた猫の午後

 十月の昼下がり、公園にはまだ長かった夏の湿り気が残っていた。日差しは強いが、木々の影は以前よりもはっきりと地面に落ち、季節が前に進んでいることを否応なく示している。葉はところどころ色を失い、緑の中に黄や茶が混じっていた。遠くで子どもが騒ぎ、ベンチには新聞を広げた老人が一人、ほとんど動かずに座っている。風が通り抜けるたび、乾いた草の匂いと、湿った土の匂いが混ざった。


私は白い猫を探していた。特別な理由はなかった。ただ、時間が余っていて、立ち去るほどの用事もなかった。近所で猫の噂を耳にしたことが、行動の口実になったにすぎない。


まず立ったまま辺りを見渡していたが、猫が姿を現した瞬間、私は自然としゃがみ込んだ。白い毛はところどころ黄ばんでおり、午後の光を受けて鈍く光っている。緑色の目がこちらを向いていたが、懐いている様子はなかった。


猫は間を詰め、膝元まで来た。気づいたときには、鼻先が触れていた。私は反射的に手を伸ばした。背中は軽く、骨ばっている。指に伝わる鼓動は早く、落ち着きがなかった。温かさよりも、緊張のほうが先に来た。


撫でながら、思い出してしまった。昔、飼っていた猫のことだ。名前を呼んでも返事をしなくなり、ある日、姿を消した。その記憶は、しまい込んだつもりでいた。


目の奥が少し熱くなった。猫は膝の上で丸くなり、短く鳴いた。私は撫で続けたが、何かを与えている感覚はなかった。ただ、この時間を自分のものにしている気がした。


やがて猫は立ち上がり、私の手から離れた。茂みの奥へ歩いていく。引き止める言葉は浮かばなかったし、名前を考える気にもなれなかった。猫は振り返らず、そのまま見えなくなった。


公園の音が戻ってくる。子どもの声、新聞の紙擦れ、風の音。老人はまだベンチに座っている。私は立ち上がらず、その場にしゃがんだままだった。


日差しが傾き、影が長く伸びる。猫の体温はすぐに消えた。残ったのは、触れてしまったという感覚だけだった。幸福だったとは言い切れない。ただ、思い出さずに済んでいたものを、わざわざ掘り起こした午後だった。胸の奥にぽっかり空いたものを抱え、風の匂いや空気の冷たさをより敏感に感じていた。


深く息を吸い、吐いた。もう一度猫を探す気にはなれなかった。その猫は、記憶と今の間にそっと消えてしまったのだろう。


そして、空に落ちる光は、触れられぬものすべてをそっと抱きしめているように見えた。


<1000文字小説目次>

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