【1000文字小説】雪の出勤

 雪が積もった朝独特の、しんと静まった物音のなさが逆に目を覚まさせた。窓の外は白く染まり、屋根や庭の植木が静かに雪を抱えている。前日からの天気予報で覚悟していた通り、車は使えない。スタッドレスタイヤに交換しそびれたせいだ。仕方なく歩いての出勤になる。七時半、ゆっくり身支度を済ませ、靴紐を確かめて家を出た。


住宅街の細い道に足を踏み入れると、息が白く浮かび、冬の冷気が肌に触れた。雪はまだ柔らかく、踏むたびに小さなきしみを返す。隣家の屋根に積もった雪は縁まで張り出し、植木は白い重みで枝を垂らしている。角を曲がると、一台分の車の轍があり、排気が白い霞のように漂っていた。真新しい雪面に自分の足跡が一本、まっすぐに続いていく。


雪道を歩くと、いつも思い出すことがある。子どものころ、大雪で学校が遅れて始まった朝、兄と一緒にまだ誰も踏んでいない通学路を歩いたことだ。足跡をつけるたびに、世界に最初の印を押しているようで、胸が少し誇らしかった。今朝の静けさは、そんな小さな冒険心をふと呼び覚ます。


住宅街を抜けるころには、通勤通学の人々とすれ違うようになる。雪の日でもスマホを見たまま歩くサラリーマン、学校へ向かう子どもたち、リュックを揺らす学生。柔らかな足音と会話が雪の静けさにわずかな温度を加える。車も速度を落とし、赤いテールランプが雪にぼんやりと反射していた。


歩くほどに手足の先が温まり、体は雪景色とは別のリズムで動き始める。駅前の広い通りでは人の流れが増え、踏み固められた雪は少し乾いた硬さに変わる。赤や白のランプが雪面に揺れ、光を吸った道路は普段より深い陰影をつくっていた。駅を過ぎると再び人影は少なくなり、静けさが戻る。雪道を歩いていると、普段はただ車で通り過ぎるだけの街が、どこかよそゆきの顔を見せる。軒先の植木、家の壁の色、通りの広さ――どれも同じはずなのに、雪に覆われるとまるで知らない街のように見え、少しだけ旅に出たような気持ちになる。


八時半、会社の建物が影のように姿を現した。歩いて近づくと、車で見るより大きく、そして静かに感じられる。入口前の敷石には薄く雪が残り、踏むたびに乾いた音が響いた。手袋を払い雪を落とし、冷たいドアノブに触れる。ひやりとした金属の感触が掌に伝わるが、歩いてきた体はほどよく温まっている。今日の一日がゆっくり動き始めるのを感じながら、背後ではまだ雪が静かに降り続いていた。


<1000文字小説目次>

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