【1000文字小説】正月のスケッチ

 街はまだ夢の余韻に包まれ、主要な道路には車の影もまばらだ。冷たく澄んだ空気が肺を満たし、吐き出す息が白い靄となって宙に溶けていく。昨日までの喧騒は遠く、街はゆっくりと目を覚ましていた。


僕は近所の商店街をあてもなく歩いた。ほとんどの店はシャッターを下ろし、正月用のポスターが控えめに貼られているだけだった。魚屋の店先には、普段なら威勢のいい大将の声が響くはずだが、今日は「謹賀新年」の貼り紙が風に揺れるだけだ。八百屋の軒先には、門松の代わりに古びたミカン箱が積まれている。


駅前のコンビニだけは静寂の中で明かりを灯していた。赤や緑のネオンサインが周囲の静けさの中で目立ち、街にちょっとした彩りを添えている。中に入ると、おせち料理のパックや普段見かけない高級な日本酒が棚に並んでいた。その姿に、今日が特別な日であることを改めて感じる。レジではアルバイト店員が無表情で会計をしていた。


大通りに出ると、初詣に向かう人々の姿がちらほら見える。皆、真新しいコートや着物に身を包み、凛とした空気を纏っている。家族連れ、友人同士、通り過ぎるたびに微かに香るおせちやコートの匂いが、冬の街に柔らかく溶け込む。小さな子供が「あけましておめでとう」と声をかけてくれ、思わず笑顔で返す。こんな些細なやりとりが、長い間忘れていた新鮮さを僕に思い出させた。


公園の前を通ると、ブランコが冷たい風に揺れ、砂場も滑り台も静かに凍てついている。誰もいない遊具はまるで冬の静物画のようだ。小鳥のさえずりや落ち葉が舞う音が、静けさにわずかな動きを添えていた。僕はベンチに腰を下ろし、空を見上げる。雲一つない青空が広がり、まぶしい日差しが街角に長い影を落としていた。


家路につきながら、ポケットの中のスマホを取り出す。今日は文字のメッセージではなく、目に映った景色をそのまま写真に収めることにした。手元の画面には、公園のベンチにかかる長い影、凍てついたブランコ、静かに舞う落ち葉、そして小さな子どもが指先で落ち葉をはじく瞬間が映っている。冬の光に照らされて輝くその手は、まるで街の静けさをそっと伝えているようだった。


自然と微笑みがこぼれる。写真を通して、僕の目に映った穏やかな朝の空気が、妻の手元に届くはずだ。「今日の街は、ほんの少しだけ優しく見えた」――そんな気持ちを、写真がそっと伝えてくれるような気がした。


街の静けさも、人々の穏やかさも、僕の心の中で小さなスケッチになった。新しい年の始まりに、こうして立ち止まり、見渡せる時間があることは、まるで小さな贈り物のようだと、僕は思った。


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