【1000文字小説】日付の境目の自動販売機
住宅街の外れに、一台の古びた自動販売機が立っている。
昼間はただの機械だが、日付が変わる瞬間──午前零時になると淡く光るという噂があった。
「日付の境目に立ち会った人は、少しだけ心が揺れる」
誰も本気にはしないが、今夜も三人がその噂を確かめに来ていた。
時計が真夜中を告げると、自販機の灯りが静かに点り、闇をわずかに押し返した。
最初に現れたのはタカシだった。
三度目の原稿のボツに直面し、夢を諦めるかどうかの端に立っていた。
「せめて、今日と明日の境くらい、違う気持ちで越えたい」
そうつぶやき、迷いながら「インスピレーション」を押す。
透明な瓶を一口飲むと、胸の奥で消えかけていた物語の光が微かに揺れ、
(ああ、まだ書きたいんだ)
タカシはその小さな灯に、静かに息をついた。
そこへ、肩を落としたミカが足を止めた。
部署の人員削減、母の介護。
「もう全部無理かもしれない」という思いと「踏ん張りたい」という思いが胸の中でせめぎ合い、どちらへ踏み出すべきか分からなくなっていた。
手の中のスマホは、まだ上司の長文メールで震えている。
ミカは俯いたまま「安らぎ」を選んだ。
温かなココアを口に含むと、張り詰めた心がほどけ、涙が頬を伝う。
それに気づいたタカシは声をかけようとしてやめた。
代わりに瓶を胸元で軽く掲げる。
ミカもココアを掲げ、微かに笑った。
言葉は交わせなくても、互いの迷いが触れ合うのが分かった。
そのとき、自販機のすぐ横で急ブレーキの音が響く。
ユウタが自転車から飛び降り、荒い息をつきながら駆け寄ってきた。
恋人に別れを告げられ、気持ちをどこへ置けばいいのか分からないまま、静かな家に戻るのが怖かったのだ。
何か音のある場所に、誰かの気配が残る場所にいたかった。
「間に合った……」
ユウタは「明日への希望」を押した。
出てきたのは普通の炭酸飲料。
力なく笑ってプルタブを引くと、「プシュッ」という音が夜に広がった。
その音にミカが顔を上げ、タカシが小さく息を吸う。
三人の胸の奥で、それぞれ抱えていた重さがわずかに揺れた。
ユウタが震える声で言う。
「今日、振られました。でも……この音聞いたら、少し前に進んでもいいかなって」
タカシは瓶を見つめながら答える。
「僕も……諦めるところでした」
ミカもココアを胸に抱き、ゆっくりと言葉をつなぐ。
「私も……全部投げ出すか悩んでいました」
三人の思いが静かに重なった瞬間、自販機の光がふっと消えた。
まるで「越える時だよ」と告げるように。
胸に残ったわずかな揺らぎだけが、零時という境を確かに示していた。