【1000文字小説】静かな夜ひとつの光
金曜日の夜十一時過ぎ。オフィスには、私以外の誰もいない。キーボードを叩く音だけが、やけに大きく響く。月末の締め切りに追われ、今日の終電も諦めた。窓の外は真っ暗で、ビル群の輪郭だけがかすかに浮かぶ。みんな、もう週末を楽しんでいるのだろうか。
コーヒーカップに湯を注ぎ、静かに音を聞く。ふと窓の外を見ると、ほとんどのオフィスは消灯している中、最上階の一室だけがポツンと明かりを灯していた。
部署も業種も違う見知らぬ誰かの光が、孤独だった夜をそっと和らげる。手にしたコーヒーを握りしめ、窓辺でじっと見つめる。その部屋の中では、誰かが画面を見つめ、疲れた手でキーボードを叩いているのかもしれない。あるいは、世界の片隅で、ただ必死に生きる人かもしれない。
やがて最上階の明かりが消え、夜は静かに深まる。私は小さく息を吐き、心の中でつぶやく。「お疲れ様です」――見知らぬ誰かに向かって。
それ以来、残業で遅くなった夜は必ず向かいのビルを見上げる。明かりがある日も、消えている日もある。それでも、その小さな光は、夜の海に浮かぶ灯台のように、私の心をやさしく照らす。
街を歩きながら、私は静かに笑みを浮かべる。今日も、都会の片隅で、小さな物語がひっそりと生まれている――灯りと共に、誰かの孤独もまた、少しだけ和らぐのだ。
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